今朝9:00ころ撮った庭のシャラの木。
樹氷が太陽の光を浴びてキラキラしてて
とっても綺麗でした。
本当はもっともっと綺麗なんだけど
なかなか上手く撮れないのよね
1月中旬過ぎまで
私の仕事はお休みです。
ありがたい時間を過ごしてます。
昨日の記事で
おっとちゃんのことを書きました。
実は書いた直後は
投稿するのやめようか…
とも思いました。
でも
何か消すことができず
心が少ししくっとしながらも
投稿しました。
結果…
やっぱり私自身の
大きな気づきにまた
繋がってくれたんですよね…
記事を読んで
ご自分の中に湧いてきた
エピソードや感情を
伝えてくれた方がいて
その方への返信を書きながら
私の中にまた
大きな気づきが
自然と生まれた感じでした。
昨日の記事を書いたことで
私はおっとへの申し訳なさを感じました。
だけど
それによってまた
気づきを得ることができたんですよね。
そうなると
その元となった苛立ちや寂しさも
あってくれたことで気づくことができたと
自然と感謝に繋がってきます。
この
おっとに対する
一見ネガティブな感情がきっかけとなって
気づきに繋がったわけですから。
そして
おっとに対して今は
罪悪感と感謝を感じています。
だけどさ
この罪悪感もね
ここに書いた罪悪感だったり
寂しさや苛立ちを感じたことへの
罪悪感だったりするのよ
…となるとさ
やっぱり
『罪悪感』じゃ変なのよ
だってね
その苛立ちや寂しさを
ここに書いたことで
私は大きな気づきを得たわけだから。
そうなるとね
やっぱり『感謝』しか
なくなるわけです。
私にとってこの『罪悪感』って
結構重要なキーワードでね。
コイツが元凶で
怒りに繋がったりすることが
結構あるんですよ。
てかね
そんな人、多いと思うな。
一見
『罪悪感強いなら
すぐ謝るとかなるじゃん』
てなるんだけど
もーーーーっと
深ーーーーーいとこの罪悪感は
そんな簡単じゃないからね
自分を『ダメなヤツ!!』って
深いところで思ってて
そこに気づいてなかったりすると
その自分を責める感情は
出口を探して
姿を変えて
吐き出されたりするからね
時にそれが
とんでもない暴力となって
外に出されることもあるわけで。
だから
家族ってさ
近しい人達って
それぞれのそんなモノの
ぶつかり合いだったりするから
『魂の学校』
なんて言われたりもするんだろーな…
…なんの話や…
要するに。
今、私は
うちのおっとちゃんに
めちゃくちゃ感謝の気持ちが
湧いてきてるということです。
喧嘩もたくさんするけど
こんなふうに喧嘩できる人って
世界中でおっとちゃんだけやもん。
親にも子どもにも
もうこんなふうにはできないよ。
そんな存在が
私はたまたま
おっとちゃんやった。
おっとちゃんはきっと
噛みつく私に
いや、言葉でよ。
流石にほんとに噛みつきはしない
私みたいには思ってない。
多分
『クソめんこくないやつ』
って思ってる
『世界中で1番オレに厳しいヤツ』
と思ってるフシすらある
しかし!
私は感謝してるのだから
それでいいさね。
いや
まじで腹立つことも
たくさんあるんだけどね
とにかく
昨日の記事を書いたことで
私はおっとに対して
あらためて感謝の気持ちが湧いてきた…
それは
事実です
きっとまた
イラついたりすること
あると思うけどさ
そんなこともね
結局さ
羽生くんの存在がないと
こうはならなかった…ってことなの。
もしかして
私が羽生くんに堕ちなくても
違う何かを通して
こんな気づきに
繋がったのかもしれないけど
それは
わかんないでしょ?
今目の前にあることが
今の全てなわけだから。
そう考えたら本当に
羽生くんから与えられたものは
もうもう…
数えきれないほどあって
ほんと
だから私にとっては
人生の恩人…なんだよね。
ほんとにね
あ、あれ??
今日はほんとは
ドキュメンタリーの
メガロバニアのとこ話したかったのに
なんだこれ?
とんだお粗末やな
ドキュメンタリーのことは
またあらためて…
次男から
こんな写真が送られてきました
仙台のとある地下鉄駅です
めっちゃありがとう!
次男
それではまた…
次こそメガロバニアのこと書く!!
どうか再放送されますように…
羽生くんが無事に健康に
そして幸せに
佐賀公演を終えることが
できますように
今辛い状況にある方々に
少しでも明るい光が
届きますように