JR北海道 木造駅舎 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
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木造駅舎でも板張りの木造駅舎は、少なくなってきています。現役の板張り、若しくはそれに近い雰囲気の木造駅舎を9駅と、廃駅ですが現存している板張り木造駅舎19駅掲載します。廃止になったばかりの留萌本線峠下や根室本線の幾寅は、掲載しすぎですから、今回省略します。石北本線の上越も現存していますが、遠目からで、近くに寄れない(立ち入り禁止)ですから省略です。

先ずは有名どころの現役の木造駅舎です。

釧網本線から行きます。

 

 

藻琴駅です。日中は観光客が絶えません。喫茶店も開業しています。しかし駅ネに関しては、国道沿いですし、食料確保も容易で、誰一人来ませんので、朝晩は往年の雰囲気が味わえます。

 

北浜駅です。観光列車の長時間停車駅です。駅の直ぐ脇には、流氷展望デッキもあります。ここも朝晩は静かです。

 

止別駅です。地元の人は「やんべつ」と呼んでいます。ここにもラーメン屋が入っています。上記3駅は簡易委託駅になる時に、駅業務を兼用する事で入居してきました。昭和60年(1980年)前後だったと思います。開業したての頃、バイクでツーリング途中に、上記3駅は全て泊まった事があります。夜到着して朝出発していますから、入居店で食事をした事はありません。

 

函館本線仁山駅です。新函館北斗駅の一つ長万部寄りの隣駅です。新幹線の駅が直ぐ隣とはちょっと想像つかない、雰囲気のある駅舎です。写真は掲載していませんが、ホームも板張りなんです。別棟(オシャレにいうとアネックス)のトイレがまた秀逸で、夜は手がでてくる事が確定しているかのような、雰囲気があります。近くには人家は少ないですが、徒歩圏内にはキャンプ場があり、結構にぎわっているようです。函館から近いので、いさりび鉄道や、函館市内を探索する時の宿としては最適です。

 

 

室蘭本線静狩駅です。長万部の一つ室蘭寄りの非電化部分です。廃駅候補になっています。アルミサッシなどで、中は更新されていますが、外側には板張りが残っています。

 

富良野線美馬牛駅です。板張りではなく、石膏ボードのようなもので囲われてていますが、それ以外の雰囲気は非常に良いですね。富良野線はやっつけ仕事の様な駅や、自治体が地域センターを兼ねたような瀟洒な駅が多い中、ノスタルジック感満載の駅が奇跡的にも残っています。赤い屋根が富良野の丘には似合います。

 

宗谷本線日進駅です。駅舎と言うよりは掘立小屋です。ホームも先日紹介した朝礼台です。小さいながらも寒さや風をしのげますが、吹雪で倒れないかと心配になります。駅名標のマークは駅名の「日」を模した、お日様と思われます。

 

 

宗谷本線雄信内駅です。由緒正しい、昔ながらの木造駅舎と言う感じで残っています。昔はこのような木造駅舎が、沢山あったのでしょう。駅周辺は廃屋が広がり、現在は無人です。最盛期はこの地区だけでも、200人を超える人口があったそうですが、現在は2世帯6人しか住人がいないそうです。

 

 

 

ご存じ最北の木造駅舎抜海駅です。稚内市が予算を組んで、維持費を捻出していますから、廃止されていませんが、毎年予算が通るかどうかは確実ではなく、いつ廃止なってもおかしくない状況です。駅正面は補修が入っていますが、中やホーム側に廻れば、往時の雰囲気が伝わって来ます。抜海港まで行くと人家があります。季節になるとアザラシがやって来て、近年観光客がやって来るようですが、漁場が荒らされるので、漁師の方は困っているようです。雄信内も抜海も現在では1日3往復の列車がやって来るのみです。いつまでも残って欲しいのですが、誰かが無理をしなければ、維持できないので、難しいかなと思います。

 

以上9駅は木造駅舎の中でも、非常に味がある駅舎として現存しており、お勧めの駅です。

以下19駅は、駅は廃線にはなったものの、木造駅舎が現存しており、今すぐにでも訪れる事ができる駅舎です。

 

石北本線中越駅跡です。国道沿いにあり、簡単に行けます。誰もいませんので、夜も静かで絶好のロケーションです。

現役時代に一度バイクの時、駅ネしたことがあります。夜中に森の中を笛の様な声が通り過ぎていきました。鹿ではないような感じでしたが、この辺りは建設時に色々謂れが残っていますから、少し気味悪かったことを思い出します。翌日朝バイクのバッテリーが上がっていましたが、坂道でしたから国道まで引っ張って行ったら、難なく起動しました。

 

次の上越駅駅舎も残っています。しかし撮影するために中に入るのは、立ち入り禁止に阻まれています。橋を渡らなければいけないので、それが通行止めになっています。国道からは上越駅の分岐に案内まで出ているのですが、、、、

 

奥白滝駅跡です。ここは少し未舗装の道を通って行く事ができます。信号場として交換設備は現役です。

下白滝駅です。駅前には小さな小屋がたくさん並んでおり、ホルスタインの子牛が、押し込められており狭そうです。多分用途がない、オスの子牛なんでしょう。廃牛か小さいうちに出荷されてしまうのでしょう。

 

金華駅です。常紋峠を下って来て最初の駅です。これも国道から直ぐで、わかりやすい所にあります。信号場としては、こちらも今も機能しています。区間運転で通学向けに、北見-西留辺蘂の列車が設定されていますが、西留辺蘂駅では折り返せませんので、回送で金華駅までやって来ているものと思われます。廃止前は金華行でした。

 

 

 

 

 

標津線の奥行臼駅跡です。付近には村営鉄道のDLや駅設備も残っています。鉄道前の馬車屯所の記念館もあり、結構楽しめます。最小限しか手を加えていないので、当時の雰囲気が良く残っています。傾いたままの電柱や駅名標は、何時まで持つか逆に心配になってしまうほどです。

 

 

広尾線忠類駅跡です。記念館になっており、貨車が数量保存されています。外側は板張りにはなっていませんが、中は良い雰囲気でまま残っています。広尾線は1度しか載ったことがありません。近くに幸福駅も残っていますが、もはや観光地と言うかインスタ狙いの悲しい駅になってしまっています。

 

 

 

日高本線の支線富内線の富内駅跡です。鵡川から日高町までの82.5㎞の長大な支線でした。富内駅は記念館になっており、客車がライダーハウスとなっています。

 

 

士幌線士幌駅跡です。赤字ローカル線の中でトップを切って、1978年糠平-十勝三股がバス転換しました。その廃止区間の糠平ー幌加のダム湖にかかっていたのが、今廃墟ブームで人気になっているタウシュベツ橋梁です。

 

 

 

函館本線には、炭鉱までの路線が多く分岐していました。幌内線唐松駅です。後年には支線になってしまいましたが、幌内ー小樽は北海道で最初に開業した、石炭運搬路線です。駅舎内に当時の路線図が掲示されていました。

 

幌内線萱野駅跡です。こちらも記念館になって車掌車が展示されています。北海道の鉄道黎明期の鉄道記念館は、近くの三笠駅に建設されており、様々な北海道らしい車両が保存展示されています。また開拓歴史も詳しく学ぶことができます。

 

 

 

函館本線の一部で、通称上砂川支線の上砂川駅跡です。付近の幌内線や歌志内線や万字線は、なまじ路線名があったため、単独収支計算され、早々に廃線になりましたが、上砂川支線は収支上は、函館本線の中に含まれたため、廃線は一番遅かったですが、それでも1994年(平成6年)には廃線になりました。「昨日、悲別で」と言う倉本聰監督のTVドラマがありました。その舞台になったのが上砂川駅で、駅舎内ではそのグッズもあります。エンディング曲が、かぐや姫の22才の別れでした。

 

札沼線豊ヶ岡駅跡です。現役時から山小屋のような待合でした(上)。2度駅ネとして使わせてもらいました。廃止後も訪問していますが(下)、待合は現在も残っています。しかし月形町は近く撤去の予定をしているとの事ですから、行くなら早いうちがいいと思われます。

 

深名線鷹泊駅跡です。赤字ローカル線の廃止論上には、浮上しませんでしたが、凄まじい赤字線でした。冬の維持費が莫大だったのに、ほとんどだれも乗らなかったためです。それでも並行道路が未整備と言う事で遅くまで現役でしたが、1995年(平成7年)廃止になってしまいました。今でも深名線沿線には、木造駅舎が結構残っています。鷹泊駅は放置されて、板が張り付けられ中に入る事は不可能です。それでも駅前広場とホーム跡が残っています。

 

沼牛駅跡です。ここは有志の方々が手を入れて、保存されているようで、綺麗な状態が維持できています。

深名線のダイヤは、朝始発で、深川を3両編成の両運転のキハ53で出発し、途中幌加内、朱鞠内で1両ずつ切り落とし、それぞれ区間運転として折り返していきました。名寄まで行くのは1両のみでした。厳冬期は氷点下30℃位迄冷え込むので、朝一番の列車で目的駅で降りようとしたら、ドアが凍り付いて開かず、降りれなかった事があります。天井のマフラーからは、SLを思わせる程の、排気の水蒸気が上がっていました。夜は朝と逆に1両ずつ増結して深川に帰っていました。

 

政和駅跡です。工事関係の道具置き場になっています。ひょっとしたら私有地かもしれません。しかし訪問時は誰もいませんでしたから確かめようがありませんでした。駅舎自体は放置と言って良いと思います。あといくつ厳しい冬を越える事ができるか、微妙な所です。

 

 

添牛内駅跡です。ここもきれいな状態を保っています。いつまでも残って欲しいですが、維持するにも本州とはけた違いに経費が掛かるので、大変かと思われます。

 

名寄近くに天塩弥生駅がありました。現在木造駅舎の様な姿をした、宿泊所が駅跡地にあります。天塩弥生駅その当時の物ではありませんが、中々雰囲気の良い宿泊所です。学生が停まりやすいように、学割設定や素泊まりがあります。4人部屋位の2段ベットです。

 

 

天北線松音知駅跡です。個人の所有物だそうで、勝手にネット掲載すると、削除要請が来ると言う有名な駅です。しかしもうその方は(旧松音知駅駅長)現役でないようで、時効と言う事にして今回初掲載します。駅舎内には入れませんが、綺麗に整備されています。

 

 

名寄本線上興部駅跡です。1989年に廃線になりました。現在至るまで、本線が全線廃止になったのは今でも名寄本線だけです。日高本線も留萌本線も一応少しだけ残っています。留萌本線は本線廃止第2号になる事になるでしょうが、、、ここも記念館として駅舎が残っています。片運転のキハ56も1両でですが、保存されています。

 

 

北見滝ノ上駅です。ここは資料が充実しており、廃止当時の北海道の各線の路線図と時刻表が掲載されています。

 

以上現役木造駅舎8駅と廃線木造駅舎19駅を掲載します。北海道は冬の雪で、劣化の進行が本州よりも圧倒的に早く進行します。あると思ってても、危険だからとか倒壊とかで、撤去されてしまうような事が、いつ起こるか分かりません。早めに訪問をお勧めいたします。