東日本迷走旅 10日目 道北 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
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6月22日(水)

本日朝一にやって来たのは、塩狩駅に隣接した三浦綾子の塩狩峠記念館です。しかしながら時間を考えずにやって来たため、開館まで3時間以上待ち時間がありましたので断念しました。

 

 

 

 

塩狩駅は廃止も噂されている駅です。確かに周りに人家はありません。信号所に格下げでも問題ないように思います。

 

 

 

 

東六線駅跡です。何も残っていません。板張りホームでしたから、撤去も簡単に済んだ事でしょう。

 

 

 

北剣淵駅跡です。ここも何も残っていませんでした。

突如踏切が鳴り始め待っていると、キハ40の観光列車紫水号が通過して行きました。

 

東風連駅跡です。この駅自体は廃止になりましたが、ここから名寄寄りに名寄高校駅が新設されました。扱いは、東風連駅が移転された形になっています。

 

 

新設の名寄高校駅です。名寄高校生は東風連から2㎞近く歩いて通学していたそうですから、高校前に移設してきて喜んだことと思います。

名寄から深名線跡を辿ります。天塩弥生駅跡には木造駅舎を模した新設の民宿が営業しています。コロナ関係で予約が減り、完全予約制で飛び込みは受けないようにしているとの事です。予約がない日は食材も宿も閉めるためだと思います。訪れた時はたまたま、おかみさんらしき人が掃除をしておられ、中へ招き入れてくれました。

廃止時の駅舎の写真がありました。元の駅舎を半分くらいに切っているようです。

 

 

 

室内のグッズは当時の物ではなく、自作や、後年のものだそうです。運賃表はじっくり見ると面白い内容です。道内の難読駅を集めて列挙したそうで、開業当時これが全て読めた人はコーヒー無料サービスしていたそうですが、こんな所に泊まろうとする人なら、この程度の駅名でしたら、スラスラ誰でも読めて、サービスは中止になったそうです。確かに私でも全駅普通に読めます。この中で宿泊した駅は雄信内、北一已、芭露、壮瞥などがあります。右の方には食堂メニューや宿泊料金も記載されています。

踏切が残っていました。木の彫り物はぽっぽやの高倉健をイメージしています。

 

 

 

管理人さんの本宅の方にもグッズが見えています。

朱鞠内駅跡です。最近整備されたようです。このほかにも深名線の廃線跡は結構残っています。前回訪れていますので掲載していませんが、添牛内や沼牛などの木造駅舎も残っています。

 

 

 

三毛別羆事件をご存じでしょうか?1915年(大正4年)当地三毛別の開拓民が羆に襲われ、10人が殺傷された日本最大の獣被害事件です。最初に襲われた被害者の葬式会場を再び襲い、被害が拡大した事件のようです。体長2.7m体重340㎏の雄の羆ですから、模型のクマも、然程大げさではないと思われます。熊にとって自分が仕留めた獲物を横取りされまいと、葬式会場を襲ったようです。これは熊の習性だそうです。

まあこんな粗末な家でしたら、何時襲われても仕方ないと思われます。電気、ガス、水道は当然なく極寒の地で、当時の尋常でない苦労が偲ばれます。

 

羽幌炭鉱と言うのがありました。最盛期には羽幌線築別から築別炭砿まで、16.6㎞の羽幌炭鉱鉄道が延びていました。1970年に廃止になりました。羽幌線は元々羽幌炭鉱の石炭を運ぶ目的で建設され、線路規格が低いので、D51の軸重を減らしたD62と言う専用機関車まで導入していました。この鉄橋は羽幌炭鉱鉄道の鉄橋です。比較的綺麗な状態で残っていました。

 

 

貯炭場跡です。中はトンネルのようになっています。上から石炭を落として積み込むようになっています。

廃病院です。当時は内科、外科、産婦人科、耳鼻科、放射線科を備えた立派な病院であったようです。

季節柄草が伸び放題ですが、獣道ならぬアホな探検者の道が出来ています。基本立ち入り禁止になっていますが、この誘惑に勝てる人はいないでしょうね。

入って行くと正面には、何やら農業シートで覆われたものが、、テントとかではないようです。ドーム型ですから、何か栽培していたのかもしれません。

 

奥の部屋に足を踏み入れます。ここはやばいです。木の床の裂け目から下の水たまりが見えています。当然今立っている所の下も同じ水が溜まっているのでしょう。病院の地下水など何が含まれているか、分かったものではありません。即時撤退です。踏み抜かなくてよかったー。

帰りに横を見ると、これは受付か投薬口でしょうか?病院らしさが残っています。

道はここまでで終わりです。冬季閉鎖と書かれていますが、6月の今時分に閉鎖していると言う事は、年中閉鎖と言う事なのでしょう。引き返します。病院の木の床の下の水たまりは恐ろしかったですね。あれは立ち入り禁止で正解です。私が言っても説得力はありませんが、、、、

 

 

サロベツ原野を北上し宗谷本線に復帰しました。徳満駅跡です。何も残っていません。綺麗な花があるだけです。この花これからあちこちで見かけました。色はラベンダーですが、白やピンクもあります。ルピナスと言うそうです。暑さに弱く寒さに強いので、北海道ではよく自生しています。

徳満駅は木造駅舎時代3泊ぐらいしています。晴れれば利尻が綺麗に見える展望台があり、離島に日帰りする際の基地にもなっていました。

 

 

 

徳満駅跡を今回の旅の最北端として、宗谷本線を南下し始めました。上幌延駅跡です。ホームの線路端は削られて線路に近寄れなくなっていますが、ヨ駅はなんと少し奥まった所に移動されただけで現存しています。しかもカギがかかっておらず、中に入る事が出来、駅ノートも健在です。電気は来ていなさそうで、夜は暗くなってしまうようですが、幌延町は何かこれを利用する計画があるのかもしれません。

 

 

 

安牛駅も同様にホーム端は削られ、ヨ駅は奥に移動しながらも健在でした。このまま保存してくれると嬉しいのですが、、

南下途中踏切に掴まって待っていると、サロベツが猛スピードで通過して行きました。

 

 

 

 

 

天北線跡を少し辿りました。中頓別駅跡です。例によってバスセンターです。キハ22が保存されています。こんな青い列車の記憶はないのですが、末期には走っていたのかもしれません。通常はこの辺り何処へ行ってもタラコのキハ22ばかりでした。

 

上音威子府駅跡です。ホームが草に埋もれそうになっていたそうですが、最近有志の方々が整備をして駅名標も作成して設置したそうです。

 

 

 

本日の宿は筬島駅です。駅を利用している人がいるとはとても思えない駅です。いつ廃止になってもおかしくありません。日が長い夏至の頃なので、20:00を回ってもまだ明るさが残っています。

 

明日はオホーツク海沿いに南下して興浜南北線、名寄本線、渚滑線の廃線跡を辿りながら、釧網本線の細岡駅が目標地点です。