東日本迷走旅 5日目 北陸地方 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

6月17日(金)信州信濃の信濃平で目覚めました。さすが高原、爽やかな朝でした。

 

 

本日はまず小松を目指しました。小松駅前にはボンネット広場と言うものがあり、489系北越の先頭車が展示されています。内部も日時指定で公開されているようですが、本日は公開されていませんでした。このボンネット特急の形は懐かしいですね。横軽対応の489系は、大阪にやって来る事は無かったと思いますが、481、485のボンネットは、雷鳥をはじめ白鳥など、よく見ましたね。ボンネットの形が151系こだまに通じるものがあり、特急と言えばこれって感じでしたね。

 

次にやって来たのは、小松市郊外の尾小屋です。1977年と割に遅くまで存続した軽便鉄道です。マッチ箱のような客車やディーゼルが、良く鉄道趣味雑誌に掲載されていました。特に冬の写真が多く、雪の尾小屋が多かったように記憶しています。個人的には未乗車だった鉄道です。終点にポッポ汽車広場として当時の車両が整備されて展示されています。

 

 

 

 

キハ1803、反対側は3の数字以外塗りつぶされています。遠州鉄道で1803として使われていたものを尾小屋にやって来て、キハ3として使用されたからのようです。内部も自由に入る事ができます。非常にきれいな状態で保存されています。

5機関車です。廃線時まで車堰のあった車両です。

 

 

ハフ1。シングルルーフですが、デッキ付きの大正期(1918年)製造の客車です。機関車やディーゼルに曳かれて運用されていました。

 

貨客混合列車が尾小屋を出発するシーンです。こういう混合列車は貨車には蒸気通管がないため、冬でも暖房が効くことはありませんでした。昔尼港線のDD13牽引の混合列車は、冬はとても寒かった記憶があります。まあもともとDD13はSGを積んでなかったので、混合でなくても暖房は効きませんけどね。

 

2022年にオープンした、比較的新しい博物館のせいか、非常に状態の良い形で保存されていました。

 

 

 

のと鉄道能登中島駅にやって来ました。当駅には郵便車のオユ10が保存されています。昭和61年に鉄道郵便が廃止されて以来、オユは現在、国立の郵政省関係の施設とこの能登中島駅の2か所で保存されているだけです。少し傷んでいますが、大きく錆が浮いて剥がれているようなことはありません。でもそろそろ塗り替えの時期でしょう。CFでも実施して資金を募ったら寄付したいと思います。

 

 

 

のと鉄道には雰囲気のある木造駅舎が結構残っています。以前も訪問して一通り見て回りましたが、この中島駅だけは飛ばしていました。なぜだかまでは覚えていません。丁度列車交換していました。現在の車両はこのタイプのみになっているようです。

 

 

藤並駅跡です。この駅にはつい最近まで、廃車体があのトンネルの辺りに放置されていたようですが、最近撤去されてしまったようです。でもホームや待合は残されていました。

 

 

 

波並駅跡です。海沿いにある、風光明媚な駅です。線路は撤去されていますが、廃線後に植樹された桜が春には満開になり新しい名所になっているようです。波並駅→花見駅に変身と言ったところでしょうか。ここもホームと待合は残っています。

 

 

 

 

穴水駅には有料列車のと恋路号が保存されていました。少し傷みが激しいですね。恋路と言うのは廃線部分に恋路駅と言うのがあり、恋愛関係の聖地と一時なっていた関係です。国鉄七尾線では、遅くまで能登路と言うヘッドマーク付きの急行列車が運行されていました。それの後継に当たります。

 

のと里山里海号です。最近よくある、アテンダントが乗車した観光列車です。七尾ー穴水で運転され車内で軽食も取れるようです。

 

 

 

能登鹿島駅です。本日の宿となる駅です。ピンク色の駅舎です。ここも桜の木が多く植えられており春にはピンクに染まる事でしょう。能登さくら駅とも呼ばれるようになったようです。ただいまの季節は紫陽花が彩を添えていました。

 

 

19:20上下列車の交換がありました。夏至の頃ですからこの時間でも充分光量があります。

 

近くにコンビニは無く隣の穴水付近で食料を仕入れてやって来ました。明日は日本海を北上して、新潟県に入ります。

この時は2日後にここが震源で、震度5の地震が襲ってくるとは、露ほどにも思っていませんでした。この日は弾ける寸前だったようです。