9月24日(木)16日目。本日は観光がメインです。久しぶりに朝からよく晴れています。台風の影響はほとんど感じられません。
朝の峠下駅です。留萌本線で途中列車交換ができるのは現在この峠下駅だけです。多くの列車がここで交換しますが、中には一度も交換しないで走り切るのもいます。全線50㎞1閉塞扱いの列車もあるなんて、本線と名乗るのはもう形骸化しています。当線には現在キハ40の入線はありません。基本キハ54しか入線していませんが、時折キハ150が入ることもあるようです。しかし私は見たことはありません。
朝イチはこの6:10の交換から始まります。でも実際には5:30頃に深川から留萌方面に送り込み回送が設定されており、2両のキハ54が通過していきます。それが来る時の踏切音で目を覚まし、ごそごそ支度して6:10の交換を待って出発しました。
留萌駅です。多分今日が留萌駅訪問の最後になると思います。しっかり目に焼き付けておこうと思いました。この駅には構内のソバ屋が現役で営業していますが、まだ朝が早くて閉まっていました。この後雄冬に行き、その後羽幌方面に取って返す予定ですから、もう一度留萌を通ります。その時には留萌駅最後の駅そばを食するつもりです。
留萌駅の待合室にはSLの写真が展示されていました。羽幌線、留萌本線の石炭輸送に従事したD61です。D51から6両だけ改造されて、全国で留萌機関区にだけ配置されて、目当てのファンもよく訪れていたと聞きます。羽幌線は線路規格が低いためD51が入線できません。D61は従来の9600の輸送力不足を解消するため、1D1のD51から1D2のD61へと改造する事で軸重を下げてた特殊用途機です。全六両の写真が展示されていました。解説によりますと近くの見晴公園にD613が静態保存されているとの事でしたから、行ってみることにしました。
見晴公園にD613確かに保存されていました。屋根なし屋外保存にしては非常に状態がいいですね。見た目はD51と全く同じですが、2軸従台車の部分もしっかりアップしてきました。羽幌線の石炭輸送には大活躍したんですが、炭鉱閉鎖と供に留萌本線のD51と共通運用になったそうです。冬場の峠越えにおいて、軸重が少ない事が災いし、空転を起こす事がD51よりも多く、冬季運用は敬遠されるようになったそうです。
SL見学に満足した後は雄冬に向かいました。雄冬と言うのは最後の陸の孤島と言われ、自動車道がなくて船が唯一の移動手段となっている最後の街でした。私が学生の頃、冬季だけまだ連絡船が運行されていたと記憶しています。(不確か、チョット曖昧)国道は開通したものの未舗装で冬季閉鎖していたからです。1984年にまだ未舗装のR231を走行した記録が出てきました。増毛から札幌に抜ける途中でした。
雄冬港にやって来ました。廃止された連絡船の痕跡を探しに来ましたが、一見では何も無い感じでした。漁船で網を修理していた漁師さんに聞くと何も残っていないけど、あそこが船着き場だと言って教えてくれました。釣り客が並んでいる所に少し大きめの漁船用ではないが、大型船用のものより小さいボラードだけが残っていました。船からのロープを括り付けて、固定するためのものです。釣り客が荷物置きにしているものもありました。確かにここに船が着いていたのだと確信できて納得しました。ところで釣り客の目当ては秋鮭です。こんな行き止まりの港の中に入って来る鮭なんているのかとも思いましたが、滞在中80㎝程の鮭を釣り上げた人がいました。遡れない港内に入ってきて、産卵と言う一世一代のイベント直前に、食い意地に負けて釣られてしまう、間抜けな鮭がいる事を確認しました。(君の今までの人生は何だったの?)
雄冬に来たらこの白銀の滝は見て行けと、先程の漁師の方は言ってましたのでやって来ました。落差30mしぶきが光って見えるから白銀と言われるようになったと言う事です。漁師の方もう一つ展望台にも行っとけと言っていましたが、1㎞程の山登りをしなくてはいけないらしく、そっちの方は勘弁してやる事にしました。
雄冬に満足して留萌に戻ってきました。通過しても良かったのですが、やはり最後の駅そばを食べておきたくて、駅に戻って来ました。にしんそばを注文しました。店のおばさんに聞くと連絡船は人と荷物だけで車は乗せられなかったようです。冬は海が荒れて2,3日欠航した事もよくあったとの事でした。廃止後の方針は決まっていないとの事です。つまり廃駅でそば屋だけ営業する可能性もあるとの事でした。取り合えず最後の留萌駅堪能させてもらいました。
留萌駅から羽幌へ向かう前に天売、焼尻へ向かう船の時刻を確認することにしました。そうするとなんと今日の段階では、船は1日2往復しかなく、朝8:30と昼14:00だけだと言う事が分かりました。にしんそばを食べたのが、9:45で羽幌まで1時間位です。もう14:30の便しか選択肢がありません。それでもまだ今は9月ですから昼の便があったのですが、10月からは完全にオフシーズンになって、朝8:30発の便だけになってしまうのです。まあ何とか最悪だけは免れたことになります。8月のお盆の時期は、高速船も含めて1日6往復にもなるのですが、落差が激しいですね。
と言う事で時間がかなり空いたので、FTにそんなに早くついても仕方ないので、留萌の一つ深川寄りにある、大和田駅にやって来ました。この駅は何度かやってきてはいます。その際前後のカーブとホームの関係がいい感じなので、列車を置いて撮影してみたいと思っていましたが実現していなかったからです。到着したのは10時前で駅の時刻表を見ると、8:54の留萌行きの後、12:00の留萌行きまで列車がないというありさまでした。船の時間は14:00なので、列車を見送ってからでも十分間に合うので待つ事にしました。但し本日は快晴で日なたが非常に暑くなってきましたので、少し山の方へ入って木陰で二時間ほど転寝しながら待つ事にしました。
やって来た列車は、予想通りの絵になる感じでやって来て出発していきました。この後、満を持して羽幌に向かいました。
予定通り1時間弱で羽幌FTに到着しました。まだ出航まで時間がありますので、船を見に行くことにしました。
おろろん2号です。これが乗船予定の船です。オロロンとはこの辺りに生息しているオロロン鳥から取っています。オロロン鳥とはウミガラスで、当地に生息する鳥です。カモメやカラスに追いやられて、絶滅危惧種になっています。オロロンとはその鳴き声からきています。姿かたちはウミウに似ており生態もそれに準じます。これは自動車も積み込めますので、大型船と言う事になるのでしょう。雄冬で見たボラートよりかなり大型になっています。
こちらは夏場だけ活躍する高速船です。自動車の積載能力はありませんが、速度は2倍で到着時間は半分です。多分緊急用にも使われているのではないかと思われるような整備状態でした。
待合所内に観光案内所があります。閉まっているのは良いんですが、なんと案内には「本年の営業は終了致しました。」書かれてあります。まだ9月ですよ。本気ですか?でもそうなのかもしれません。10月からは1日1便になってしまうし、本格的な冬ごもりの季節になるから春まで人が配置されないのかもしれません。レストランも併設されていますが、営業時間は昼のわずかな時間だけでした。今のダイヤでは8:30、14:00の二便しかないので、営業時間に来る事は無い感じです。そういう季節なのだと割り切るようにしました。
航路の大まかなイメージの地図です。羽幌を出た船は焼尻島に寄港した後、天売島に出航して天売島からまた焼尻島経由で羽幌に戻るという運行形式になっています。天売島での滞在時間は、20分しかありませんので、観光するためには朝の便で渡って昼の便で帰る必要があります。焼尻島は船が天売に行って戻ってくるまで1時間25分あります。今回はその時間を利用して、島内観光しようと計画しました。
予定通り14:00出航しました。焼尻島が見えています。天気が良くて波も穏やか気温も高く絶好の観光日和でした。
焼尻島入港です。漁港と共用の小さな港でした。
船からは小さな横付けタラップで下船します。警察官が港に待機していました。聞くところによると乗船客を一応確認しているとの事です。
10分の滞在で慌ただしく船は天売島に向けて出港していきました。
島内はおよそ12㎞あり、歩いて回ったら到底返しの船には間に合いません。当初はタクシーをチャーターする事にしていました。1名から運転60分1400円と言う案内があったからでした。しかし下船して観光案内所に行っても閉鎖しているし、フェリーの案内所で聞いても埒が明かないし、丁度そこに居たお巡りさんに聞いてみると、もう島は観光時期が終了しているからやってないんだろうね。案内には9月一杯営業と書いてあるけど、今年はコロナもあるし、早めに店じまいしたんだろうとの事でした。それは残念だが仕方ないと、民俗資料館だけは歩いて行けるのでそこに行ってみようと、とぼとぼ歩いて行き始めました。しかし結果的には、島内一周をすることができました。詳細を書く事は、残念ながら協力してくれた方からダメだしされて出来ませんが、軽自動車で島内を巡回できました。誰が助けてくれたかは内緒ですが、ヒントは今までに散りばめてあります。
島内の見どころは決して多くは無いのですが、この鷹巣園地と言う高台では、360度のパノラマが開けているとの案内でしたから行ってみたかったのです。天売島がすぐ近くに見えます。4枚目の真ん中に、島内巡回に同乗したパンダがいる事は内緒です。
スコットランド産の頭だけ黒い羊がこの島のマスコットのようです。島内の牧場で飼育されています。サフォーク種と言うようです。フランス料理の材料として、重宝されているようです。
港近くにある羽幌町郷土資料館で、車を下車しました。お世話になった方には充分お礼を言いましたが、この後また天売からの船の入港に備えて準備があるとの事でした。この資料館は旧小納家と言う、豪商で鰊漁の網元であり、呉服屋であり、雑貨商であり、郵便局長でありと、とにかく焼尻島の事業の一手を担っていたようです。
この辺りは雑貨屋と言うか商店としての機能を果たしていた店先になります。生活用具が展示してありました。
大福帳です。まあ売上伝票帳ですね。売掛商売ですから年末には支払いをするシステムでしたね。
蔵の中には桶などがありました。説明はありませんでしたが、潮汲桶かと思われます。
ランプです。案内の方の話では、この焼尻島に電気が24時間通じたのは、昭和40年代半ばだったそうです。それまでは時限通電だったそうです。即ち夕方7時から3時間とかほんの僅かな時間に急いで洗濯やその他の用事を済ませたそうです。冷蔵庫等はもちろん無いし、テレビも無かったとの事です。ですから私と同年代の方に見えましたが、ランプの生活は日常として覚えているとの事でした。今でも発電は島内の自家発電だそうです。その発電所の電気を天売島にも送っているとの事でした。
当主の部屋だそうです。店の真裏でしたから、金庫等も有ったのではないかと思われました。
最盛期の頃の絵画です。まだ焼尻港が建設されていなくて砂浜です。小納家の特徴である屋根のトンガリが見えます。浜には鰊小屋があって、やん衆が詰めています。
トイレになります。なんと九谷焼だそうです。スリッパの部分も久谷でできています。栄華を誇っていたのでしょうね。
座敷と言うか客間と言うかこのような部屋がいくつもあります。島に商売できた要人などを泊めていたと思われます。
台所です。かなり広く作られて使用人も数多くいたようです。
玄関の隣は郵便局になっていました。今でいう簡易郵便局と言うやつでしょう。この扉には、引受留置小包郵便蔵舎 焼尻郵便電信局と書かれています。毎日荷物を発送したり、受け取ったりすることが、離島のため困難な時が往々にしてあったのだと思われます。そう言う時の為の一時預かり金庫の様な物かと思われます。南京錠もついていました。
当主はゴルフの趣味もあったようです。北の北海道の大地で、ゴルフなど年に1回もできるかどうかの道楽ではなかったかと思います。シャフトは竹で出来ている物がありました。そんな物でダフッたら一発でお釈迦になるでしょうね。
1時間25分の滞在時間を非常に有意義に過ごすことができました。ご協力を頂いた方には感謝してもしきれません。天売からの船は定刻に帰ってきました。狭い港内で見事にターンして横付けします。中々の操艦で感心してみていました。
帰りの船の出航は16:25で、羽幌港到着は17:25の予定でしたが10分程遅れていました。この日の日没は17:27でジャストの時間に洋上で迎えることができました。しかし最初は島影を撮り込んでと、何時もの様に考えて中望遠で構えていました。水平線に雲一つないきれいな夕日です。それが水平線に達する時に奇跡が起きました。よく見てください。ダルマになりかけています。急いでレンズを望遠の方に付け替えました。
見事なダルマ夕日です。秋口の気温が下がった時に比較的見られる蜃気楼の一種です。ダルマ夕日が現れると、地元ニュースなどで放送されたりもします。思いがけず、良いものを見ることができました。船内では歓声も上がっていました。
見事なお土産に満足して焼尻島観光を終了しました。島内でも思わぬ助けで観光もできました。大変満足した1日でした。
本日の宿は留萌本線藤山駅です。この駅は学生時代にも泊っています。駅舎の後ろに上弦の月が輝いていました。
これで留萌本線内の駅の内、北一已、峠下、藤山の3駅に宿泊したことになります。当初の予定では明日の夜の船で、苫小牧出航の予定でした。ところがあんなことになって、結局もう1泊留萌本線内の宿泊駅が増えることになりました。それはまた明日です。