茅ヶ崎のすぐ北側にある、北茅ヶ崎駅です。街中になる駅ですが、駅舎は田舎私鉄の小駅のようです。まあもともと貨物目的の私鉄でしたし、電化も遅かったですから、私の相模線のイメージは今でもキハ35ですね。
北へ登って宮川駅です。ここも私鉄の様に駅前正面に広場がありません。道路がいきなりありましたが、T字になっていたため何とか引きが取れました。待合の中はほとんど自動改札で占められていました。
青梅線に入りました。鳩ノ巣駅です。正面はかなり手が入っていますが、ホーム側の屋根には古い木造の感じが良く残っていました。この後奥多摩駅も山小屋風の駅舎でしたから行きましたが、丁度改築と言うか修復と言うか工事中で全面カバーされていましたので、残念ながらあきらめました。30年以上前フィルムカメラ時代には一応駅舎を収めています。
八高線に戻って来ました。高麗川駅です。高麗川駅は川越線も分岐しており、結構大きな駅ですが、感じの良い木造駅舎が残っています。電化と共に橋上駅化が検討されていますので、何時までも安泰というわけにはいかないようです。
高麗川から北に上る前に川越線に寄り道しました。笠幡駅です。電化されていますので、近代化された電車が走っていますが、駅舎はレトロでした。
隣の的場駅です。屋根やあ壁の色は違いますが、先程の笠幡駅とほぼ同じ駅舎者構造です。
八高線に戻って来ました。高麗川駅の一つ北、毛呂駅です。鳥居型の駅名表が残っていました。しかしJR九州と同じ金属製で、JR後の作成のようです。
さらに一つ北、越生駅です。駅舎は典型的な八高線の雰囲気です。でも中の待合はつまらないほどに取り外されています。
いよいよ本日のメイン秩父鉄道にやって来ました。越生から、一気に三峰口までやって来ました。ここからゆっくり山を降りていきます。秩父鉄道は貨物も残っており、駅舎も古いのが多く残っています。JRではもう見られない感じの駅舎が連続します。
この三峰口も駅舎だけではなく、ホーム側の屋根も広く重厚なものが残っています。列車が残念な雰囲気ですが、、、、
駅前には2軒食堂があります。松葉亭と福島屋と言うようです。下の福島屋の方が、手の入り方は少ない感じです。
三峰口の隣の白久駅です。周りに人家が無く駅の存在意義が疑われる駅です。秩父鉄道の中でも最も乗降客が少なく、1日平均73人しかいません。
白久駅の隣武州日野駅です。3駅続いて木造駅が残っています。待合やホームの雰囲気まで、懐かしい香りが残っています。
一つ置いて浦山口駅です。この駅は、少し坂を上って、高台にあります。駅には初めてお客さんを見ました。感じからして、ハイキング帰りの様ないでたちでした。
和銅黒谷駅です。元々は黒谷駅でしたが、ここで産出した銅で、日本最初の和同開珎が鋳造されました。駅名改称のの折に駅舎にかなり手が入り、レトロ風駅舎になってしまいました。
皆野駅です。広いホームとそれを覆う大きな木造の屋根が特徴的です。駅舎は八高線の雰囲気がします。
上長瀞駅です。ここも広いホームに木造の屋根が長く伸びています。皆野駅で梁は木造でしたが、ここは柱も梁も鉄骨になっており、屋根だけが木造でした。
長瀞駅です。長瀞観光の最寄駅ですが、木造駅舎が何とか残っています。しかしかなり手が入っており、最早ほとんど新築したような感じです。
秩父鉄道はまだまだ続きますが、容量が一杯になったようです。ページを改めます。