阪急電車の小ネタ | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

私は阪急沿線育ちなので、関西私鉄の中でも阪急には殊の外思い入れがあります。今は京阪沿線に住んで少し遠のきましたが、あれはどうなっているのか?とか、最近できたあれはどんなものか?と言うのがいくつかあり、まとめて行ってみる事にしました。
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先ずやって来たのは西山天王山駅です。この駅の開業は2013年と比較的最近の事です。直上を京都縦貫自動車道が通っており、高速長岡京バスストップと相互乗継できるようになっています。その現場を見るためにやって来ました。私にとっては初見です。上の高速道路が光を遮りやすいため、窓を大きく採って採光を考えられている構造です。
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何か安物のビジネスホテルのようです。でもこれが高速と地上をつなぐ目的の為だけのエレベーターのビルだとしたら、立派過ぎですね。階段付属していますが、何故か閉鎖されていました。
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上に上がって来ました。もう少し大きなバスセンターになっているのかと思っていましたが、単なる高速のバス停留所です。こちらは下りのバス停ですので、丹波方面の便や津山、広島等がありましたが、反対の上りは、東京、北陸、信州方面に便があります。去って行くのは、京王バスのUSJ行でした。数人の下車がありましたが、案内にはありません。多分USJ行等の終点間近の便は下車専用なのでしょう。
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次に行こうと思ったのは嵐山線です。この線は単線で京都線の電車の最終墓場のような存在で、常に嵐山線が京都線で一番古い電車を走らせていました。しかし最近は観光客が急増して、古い車両ではありますが、元特急車両の6300系が投入されています。本来順番でしたら堺筋直通用に登場した3300系が順当です。先日までは、既に廃車になってしまいましたが、2300系が投入されていました。丁度特急車両が更新時期になったのとも重なり、嵐山線にかつてないサービスが実施されました。しかも車内は2+1のクロスシートに改造され、それでいながら2枚ドアはそのままと言うセンスの良い改造です。今や阪急の2枚ドアは、この6300系だけですから、非常に貴重です。
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松尾大社駅で下車しました。以前は松尾駅でしたが改称されました。駅舎も近代化されていますが、改札前のベンチや、屋根に旧駅舎の香りが残っています。特にベンチの枯れ具合は、中々のものです。
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駅前に松尾大社の大鳥居があります。松尾の神は、神々への酒を調達する酒奉行とされ、全国の酒蔵が酒の神松尾様を祀っています。
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嵐山線の運転間隔は15分でしたので、松尾大社から嵐山まで歩いていく事にしました。裏道には用水路が流れていました。かなりの水量ですが、下水などは流れ込んでおらず、清流でした。古い家からは川に向かって階段が切ってあり、昔は料理や,洗濯、冷蔵庫の代わりをしていたものと思われます。
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次の列車を何とか嵐山駅で捕まえる事ができました。嵐山線の各駅の灯りは、この様な優しい行燈タイプなんですが、日中は点燈しておらず、唯一嵐山駅の改札前だけが灯されていました。
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嵐山線には常時2編成投入されています。今日の6300系の相棒は8300系でした。こちらは普通のロングシートでした。
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嵐山線を後にして次にやって来たのは正雀駅です。京都線の一番大きな車庫になっており、当駅止まりの電車もあります。丁度やって来たのでカメラを向けると、到着直前に幕が廻り始め、相川行準急と言う意味不明な状況になりました。
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この駅にはホーム上に信号機が設置されています。非常に珍しい光景です。ホーム上の線路に分岐があるためです。車庫に入る電車の分岐が奥にもあり、信号機が2か所設置されています。
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正雀名物と言えば、この車庫への分岐線です。模型のヤードではよくこのような構造は見かけますが、現物は中々お目にかかる事ができません。正雀はこれがホーム上から安全に見る事ができます。綺麗に直線から何本も分岐していると気持ちいいですよね。
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5300系が全編成が綺麗に取れる位置に待機していました。京都線ではまだ3300系が多く残っており、この形式の廃車はまだですが、神戸、宝塚線では、3000系はもう既に残存数僅かになっており、5000系系列も能勢電に大量に売却されて近代化されています。そろそろこの5311も寿命かも知れません。
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次は淡路駅です。ここも記憶に留めておかなければいけない駅です。千里線と京都線の平面交差駅の構造なので、朝のラッシュ時などは大渋滞を起こし、京都線の輸送の最大のネックになっています。近鉄の大和西大寺の様な感じです。布施駅のように上下分離方式の駅に生まれ変わるための工事が現在進行中です。しかし町並みがすぐ近くまであり、300m程向こうには城東貨物線(将来のおおさか東線)の工事もやっており、非常に困難であることは素人の私にも理解できます。どのようにして完成に至るか非常に楽しみにしています。現状駅構内は何も変化が無く昔のままの状態です。河原町行準急が交差して出発していきました。
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上の西口出口は何も変化がありませんが、下の東口の以前の記憶は定かではありませんが、既に工事中となっています。
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次にやって来たのは中津駅です。中津駅は梅田の次の駅にあたり、阪急名物で全国私鉄唯一の3複線区間の中にあります。後からできた京都線には中津の駅はありません。この駅の特徴はなんといっても細いホームです。黄色の点字ブロックの内側の幅が約30㎝位しかなく、とても整列乗車などできません。両側直ぐを電車が通過していきます。
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中津のもう一つの特徴は、この改札前の場末感です。鶴見線国道駅のガード下の改札口に通じるものがあります。場所も淀川と梅田貨物駅に囲まれた、川筋方面しか行き来しにくい構造でもある所から、都会化から取り残されてしまっています。
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中津からはずっと移動して、三宮の一つ手前の春日野道駅にやって来ました。ここも中津と同様にホームが非常に狭い事で知られています。中津よりは広いですが、やはり点字ブロック間の幅は僅かです。この駅は左右にJRの複々線と国道に挟まれているとい事情があります。無理やり駅を造った感があります。しかし歴史は古く昭和11年開業です。東海道線が目の前に走っているので、昔から撮影ポイントとして、人気がありました。多くの記録が残っています。もちろん山陽新幹線起業前の特急全盛期の頃の話ですが、、、、、
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神戸からまた一気に戻って来て、宝塚線の服部天神駅です。昔は服部駅でしたが、少しでも利用客を増やそうと改名しました。服部天神は道真公が、九州に流される時に足の痛みをこの地で取ったとされており、足の病気に効用有とされています。駅舎も先日ほどの、古風な感じではありませんが、私が子供の頃の阪急の駅の典型タイプで、今やほとんど残っていません。駅前の服部会館と言うレトロパチンコ屋もローカル色豊かに色添えしています。
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服部天神駅の御神木とされているクスノキです。京阪の萱島程ではないですが、同じようにホーム屋根を貫いて、と言うか屋根の方が避けているのですが、、、枝を広げています。樹勢は元気がある様で、季節柄若葉で眩しい位です。
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本日の阪急探索の最後は石橋駅です。この駅は箕面線が直角に分岐しますので、構内が広く取られています。先程の中津駅とは比べ物になりません。昔からこの広いホームが好きで、しかも殆ど昔から変わらず、今に至っています。この駅は車でのアクセスが悪く、と言うのも商店街や高架道路がすぐ近くに迫っているため、改修しようにも用地確保ができないためと思われます。

これで阪急探索は終了です。予定では午前中に終わらせる予定でしたが、12時半頃終了となりました。この後は能勢の散策に行きます。そちらで掲示しますが、本日の利用は、能勢里山妙見切符と言いまして2100円です。因みに午前中の移動で、そのまま切符を買って乗り降りしていたトキの運賃を計算してみました所、2410円になりました。既に元が取れている事になります。でもまあしかしこのような切符があるから、逆に言えばこのように行動したともいえますが、、、後半の里山散策に続きます。