草津―大津 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

梅雨の晴れ間を狙って東海道ウォークをやります。いよいよ草津までやって来ました。残りは大津、三条大橋と25㎞程度です。1日の行程ですが、あえて二日に分けます。本日は大津の先逢坂山の頂上蝉丸神社までとします。
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始発の接続が悪い東福寺経由ですが、本日は草津本陣見学の為ゆっくり出発です。自宅から草津まで運賃800円です。安くなりました。予定では3分乗継だったのですが、何故か京阪特急が3分遅れ、10分待たされました。その間に城陽行の103系が逆光の中やって来ました。奈良線の103系はほとんど低窓車です。高窓は見た事が有りません。
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お京阪が遅れたおかげで8:45着の予定が7分遅れましたが、今回はバスに乗るわけではないので、大した問題ではありません。草津駅のロータリーは、このように宿場町を思わせる演出になっています。
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駅を降りて右折して、中山道のアーケードを通り10分ほどで、草津本陣にやって来ました。40年ほど前までは当主の田中家が現住していたそうですが、組み直し整備して今に至っているとの事です。写真撮影禁止と書かれていますが、確認するとフラッシュ禁止で、資料アップしなければOKとの事でした。下は昭和の初めころの写真だそうです。基本は変わっていませんね。
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玄関に入るとこのような札が並べてありました。予約は1年前から入りますので、当日宿泊大名の札が掲げられたそうです。
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メインストリート座敷廊下です。左の花が飾ってあるのが玄関口で、左右に二部屋ずつ控えの間があり一番奥左が上段の間になります。
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奥の上段の間になります。部屋自体が一段高いうえに部屋の中まで、さらに一段高くなっています。現代人の感覚では、居心地が悪そうな感じです。何か見世物のようです。
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大名専用の風呂とトイレです。こんな所まで畳敷きになっています。トイレの方は床の間までありました。
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土間には竈がならんでいました。十基以上ありました。流石に大所帯です。この右奥で当主の居住スペースがあります。
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次に訪れたのが交流館です。宿場資料館の様なものです。
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当時の持ち物などが並べてありました。宿場模型もありました。参と書かれている所は草津川で、当時から天井川で普段は枯れ川だったそうですが、ひとたび雨が降ると、家並みよりも高い所を流れているため当時から治水には苦労したそうです。四の所が先程訪れた本陣で右手下奥から東海道はやってきて、T字路を左折すると、本陣を経て京へ、右折すると中山道。現代ではアーケードになっていて、右手上が草津駅になります。
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以前由比の広重美術館でもやりました版画ができるようになっていました。近江八景と歌舞伎絵です。どちらも4色刷りでした。
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2施設見学にたっぷり時間をかけて、10時ようやく出発しました。宿のはずれには立木神社がありました。狛犬があるべきところには鹿が鎮座していました。草津宿の鎮守で767年創建だそうです。
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境内には大きく横に張り出している松と道標がありました。下から支えてもらっています。道標は右東海道左中山道と書かれていますので、あの天井川の交叉点に建っていたものと思われます。
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今回も見つけてしまいました。酒蔵です。天井川と言う銘柄のようです。中に入って小さな300mlを求めようと思ったのですが、生憎冷えたのはないとの事それでも試飲をしていってと言われ、冷蔵庫から4合瓶を出してきて飲ませてもらいました。軽くてさわやかな味でした。これを詰めてもらえないか後頼むと、本当はダメだけど、すぐ飲んでねと言う事で、移し替えて詰めてくれました。また歩きながら、クピクピやる事になりました。
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矢橋街道の交叉点には、道標があります。今は瓢箪を扱う店ですが、当時は姥が餅の店でした。広重の絵にもこの道標と共に描かれています。
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次に現れたのは、稲荷神社です。赤い鳥居が絵になりやすいので、ついカメラを向けてしまいます。
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地名が矢橋から野路に変わって一里塚出現です。と言っても碑ですが、、、小さな公園になっており、日陰が有るので休憩しました。酒もまだ少し残っていたので、ここで飲み切りました。晴れて暑くなってきたので、冷酒がとても心地よかったです。
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街道は池の周囲の左手を進みます。弁天池という農業用のため池のようですが、水草に覆われて水面が見えなくなっています。中の島もあり石橋がかかっています。暗いですが奥に鳥居が見えます。神社のようです。行ってみましたら祠がありました。その昔の大盗賊日本左衛門の隠れ家でもあったようです。
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旧街道沿いはやはりこの様な雰囲気のある家並みが似合います。
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月輪寺がありました。明治天皇や、14代将軍家茂なども休憩した記録があり、格式の高い寺のようです。
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月輪寺そばには立場跡の碑がありました。こんな街道の真ん中にまで立場があるとは、京が近くなって、物資の往来が盛んであったと言う事なのでしょう。
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一里山と言う地名の場所に一里塚碑が有りました。
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妻には読めない屋号が書かれています。政党ポスターは無粋ですが、雰囲気のある旧家です。
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12時半頃瀬田の唐橋到着です。今日は短いのと暑さで、ペースがなかなか上がりません。
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唐橋を渡ると、直ぐ京阪石山線の踏切を渡ります。唐橋前駅です。
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踏切を渡ってすぐ、近江牛の肉屋とレストランがありました。もう暑くて汗がたらたらで、のどが渇いていましたので、思わず飛び込みました。ガーリックステーキと冷えたビールで昼食としました。3㎝の鉄板で目の前で作ってくれ軟らかくて美味かったです。
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腹も満ちて再び歩き出すと出ました、飛び出し坊やです。滋賀県は本当にこの坊やが普及しています。しかし子供のくせに酔っぱらっています。酒屋の前だからでしょう。ゴルゴ13だったり、ばあ様だったり、酔っ払いだったりバリエーション豊富です。
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瓦ヶ浜と言う田舎の私鉄駅の雰囲気を良く残している、駅前踏切を通過しました。連なる民家もまた古風です。
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大津宿が近くなってきました。古民家もまた増えてきました。
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田舎の裏道の交叉点にはよく見かける1灯式の信号です。吊り下げるタイプなので狭い道でも邪魔になりませんが、これでも事故をかなり防いでいると思われます。
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大津宿に入って来ました。義仲寺と言うのがありました。木曽義仲の墓があるそうです。松尾芭蕉の墓もあり、有名人二人が葬られています。大きな葉は芭蕉の木でしょう。
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水口や、土山でよく見かけたベンガラ民家がここ大津宿でも見られました。
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滋賀県庁です。上部のドームが古風です。
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宿内には古い店が建ち並びます。饅頭屋さんから和服姿の女性が小走りに出てきました。

この辺りで、ページを改めます。次回はいよいよ京です。本日は逢坂の関までですが、、、、