水口―石部 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

長かった東海道もいよいよ50㎞強を残すのみとなりました。本日は水口の少し手前から草津まで28㎞を歩きます。今回のお楽しみは、酒蔵が2軒もある事です。しかもどちらも評判が良いらしいです。
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今回もアクセスから悩みました。出発地点の県道今郷バス停は、貴生川駅からあいくるバスに乗ります。これが貴生川駅北口を7:35に出た後は8:50までありません。できれば7:35に乗って効率よく歩きたいものです。しかし京橋大阪駅経由だと始発で十分間に合いますが1930円もかかります。東福寺経由ですと1150円で行けますが、休日ダイヤですと東福寺の接続が1分しかありません。前回関に行った時は、河内森、河内磐船乗り換えにしましたが、今回の目的地貴生川ですと柘植経由はかえって遅くなります。色々悩んだ末、樟葉で先行する急行を捕まえ、七条まで行ってそこからJR京都駅まで歩くと言う経路にしました。地図上では1㎞有るか無いかと言った所です。
6:13七条駅に到着してすぐ横にかかっている七条大橋を渡ります。その昔京都市電も渡っていた橋です。京阪と十時交差していました。
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七条河原町交差点です。京都タワーが見え隠れしています。目印には最適です。6分経過6:19です。
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6:27切符を買って階段を上り下りして2番線に到着しました。14分かかりました。6:33長浜行に十分間に合いました。チャレンジ成功です。
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チャレンジ成功したおかげで、7:35発に無事間に合い7:54県道今里バス停到着しました。
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8:00前回区切った交叉点で少し体操した後出発です。案内に従って、県道を外れ細い旧道に入って行きます。本日ここまでですでに2㎞歩いています。
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近江の国には、飛び出し坊やの設置が非常に多いです。先日の鈴鹿峠を下りて来た所では、ゴルゴ坊やの飛び出しがありました。本日歩き始め直ぐには、ばあ様飛び出しです。ばあ様は、スピードはないものの耳が遠くて気が付かないと言う武器を持っています。
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庭先に大きなアザミの様な花と言うかぼんぼりがありました。これ熊本にいた頃に見たヒゴタイに似ています。あちらはこのように1本立ちせず、枝分かれしていましたが、、、
種類が判明しました。ギガンチウムと言う観賞用の花のようです。ネギの仲間だそうです。
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県道に合流する直前の岩上橋たもとに岩神社がありました。社はなく後ろの大きな岩がご神体のようです。この岩の前で地元の女性が新生児を抱いて待ち、通りかかる旅人に頼んで名前を付けてもらう習慣があったとされています。
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いよいよ水口宿に入って来ました。東見附です。8:30
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宿内に入ってくると古い街並みが現れました。本日はこの後もずっとよく見かける事になる、このべんがら色の染料を施した民家が並びます。べんがらは腐食防止に塗料としても良く使われていましたが、なぜこの辺りで多用されているのかは、地元の人に聞いても良くわかりませんでした。
桔梗屋文七は元は着物洗いの店だったようです。今でもクリーニング業を営んでいるとの事です。一休さんに出てくる桔梗屋さんの事かと思いましたが、違っていたようです。
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水口は宿が、三筋の街と呼ばれ、通りが3本並行してあります。ここが最初のの分岐で、左奥の標識でも別れて3本になります。
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3本の中でも真ん中がメインストリートになります。旅籠屋と言ううどん屋さんでした。ステイとも書いてあったので、泊まれるのかもしれません。いずれにせよ朝早いので、動きがありませんでした。
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問屋場跡です。宿における郵便や、物資の集積地で人足も寄って来ます。
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土壁の古い造りの商店です。上は呉服屋、下はフグ専門料理店です。今でも営業しているようで、上は着物の展示があり、下は魚屋さんと言う感じでした。
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先程別れた三筋が再び合流します。真ん中にあるのは曳山に見立てた時計台ですが、残念ながら停まっており、時間はあっていません。
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近江鉄道水口石橋駅前踏切です。近江鉄道はオリジナルは、クリームとべんがら色のツートン(ここでもべんがら登場)でしたが、西武鉄道傘下になりカラフルな色合いになりました。まあ西武のオーナーの堤氏は、近江の出身ですから、こちらの方が地元と言って良いのですが、、9:00丁度1時間経過しました。
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ここ水口には4月19日20日にかけて水口曳山祭りが開催されます。その際曳山が街中を大挙して巡行するそうです。まあ祇園祭の山鉾巡行のイメージです。ここも総勢16基と言う大所帯で巡行するため、かなり迫力があるようです。通りには曳山を治めてあろう背の高い蔵があちこちにあります。この河内町の曳山は地区センターで常時公開されているようです。
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水口宿はかなり規模の大きな宿です。三筋が収束して踏切を渡り西の端地区は、曲尺手があり、その角には力石がありました。江戸期の浮世絵にもたびたび登場するそうです。強力自慢が持ち上げて競うための物なのでしょう。
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林口一里塚を以てして、水口宿はおしまいです。この辺りに西見附跡があるはずですが、残念ながらわかりませんでした。
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宿を出て直ぐ本日のお楽しみの1軒目美富久酒造がありました。今年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞したそうです。10時からと言う事で、覗くとまだ暖簾が出ていませんでしたが(現在9:45)どうぞと勧められて入りました。真ん中から右側は、甘口の酒で、好みには合いませんでしたが、左から3番目の大吟醸は次元の違う味でした。鑑評会に出した酒と同じで、絞らずに滴りだけを集めた更に上級の酒でした。雑味がなく奥の深い味でした。一番左が鑑評会の酒で、これでも十分美味い。但し値段がやはりそれなりにします。しかし旨さに負けて、1升瓶を買い求め自宅に送りました。ちょっとした出費になりました。レアチーズケーキも旨くさらに歩き酒も求めて、かなりの長居になりました。
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40分位滞在してあれこれ試飲させてもらい、歩き酒も求めてクピクピやりながら、出発しました。北脇縄手にやって来ました。縄手は真っ直ぐな1本道と言う意味です。往時はさらに松並木もあったとの事ですが、今ではほとんど見かけません。
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長い1本道(縄手)が終わると小さな川を橋で渡ります。泉川を渡る舞込橋と言うようです。
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橋を渡ると直ぐに一里塚がありました。泉一里塚と言うようです。当時の物ではなく復元ですが、ベンチもあり酒もまだ手に少し残っており休憩としました。
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一里塚のすぐ向こうは野洲川にぶつかります。大きな常夜燈が迎えてくれました。街道筋でも最大と呼ばれている、横田常夜燈です。ここは横田の渡しと呼ばれ夏場は船による渡し、冬は土橋をかけていたそうです。明治になり写真の様な木橋が掛けられたそうです。今では横田橋は北に移動していますが、この地には橋の取り付け部の石垣が残されています。
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少し北に進路を取り、現在の横田橋を渡ると草津線三雲駅に出ました。本日の下車駅の貴生川から草津より一駅です。寄り道が多く酒も飲みながらですから進行が非常に遅くなっています。11:10
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草津線を左手に見ながら線路沿いを歩き、踏切を渡って線路が右手になった頃案内が現れました。丁度三雲発11:27の電車が草津方面に走って行きました。このグリーン一色塗装悲しいです。草津線の緑と言ってしまえばそれまでですが、電車に乗って対向電車を近くで見ると塗り方も雑で、やっつけ仕事の様な塗装です。元の湘南カラーにしてもらいたい物です。この季節周りの雑草に溶け込んで、全く映えません。
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この辺りの野洲川にそそぐ川は、長年の堆積により天井川になっているのが多いようです。この大沙川もそれで、下をトンネルで道路が抜けていきます。(吉永まんぽと言われています。)上に登れそうなので、上ってみました。残念ながら川は枯れてしまっています。雨が降れば流れるのかもしれません。大きな杉の木があります。弘法杉と言うようです。樹齢750年弘法大師が当地で、昼食の弁当を広げその後使った箸を地面にさしてそれが今の大きさになったと言われています。割り箸から大杉へとは面白い発想ですね。
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吉永まんぽ抜けるとこの辺りに夏見一里塚があったとされていますが、何も残っていません。案内があった背中側にこのような何かを祀った石碑があります。夏見一里塚は江戸から115番目だそうです。
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また天井川をの下を行きます。由良谷川と言うようです。こちらは登れそうなとっかかりがなく残念ながら上がどうなっているかの確認はできませんでした。
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本日2軒目の酒蔵です。北島酒造と言い案内には店主が納得しない酒は一切出さないと言うこだわりだそうです。やはり中に入り込み色々試飲させてもらいました。そしてさっき二合瓶を飲んだばかりなのですが、また300mL瓶を買い求めました。これは水で薄める前の原酒ですからアルコール濃度が19%とやや高めです。しかし奥行きの深い鼻から香りが抜ける、良い感じでしたのでこれにしました。やはりこれが一番出ているそうです。ここでもまた長居をしました。進行が非常に遅れています。
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この辺りに石部宿の陣屋があったようです。クピクピやりながら歩いていていつの間にか石部宿に近くなってきたようです。
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石部宿東見附跡になります。宿の入り口です。13:00 出発地点から16㎞、5時間かかっています。かなり遅いペースです。草津本陣が五時に閉まります。間に合うかなあ?

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