常平通宝考Part2 | outbackの旅日記

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日本中を気ままに旅する記録です。山の中の無人駅でビバークします。
タイトルが3代目になりました。レガシィ→ペケV→outback

本題の常平通宝に入りたいと思います。朝鮮は一応独立国でしたが、実際は歴史上の殆どは中国の属国です。中国の使者が朝鮮に来ると朝鮮の王が町の大門まで、お迎えに出ることが義務付けされていました。そんな国ですから貨幣も当然中国銭を使用し自国通貨を作り始めたのは、1000年頃からです。しかし実際に貨幣として流通の基本となったのは1400年頃です。日本の寛永通宝のように庶民が普通に使うようになったのは、1750年代になってからです。それが常平通宝という銭貨です。
それまでは一応自国通貨は出していましたが、中国銭の方が信用があり、また庶民は物々交換が主流でした。
 
さてその常平通宝ですが、最初の発行年は1633年です。これらは無背銭という分類で裏(背と言う)に何も書かれていないものでした。常平通宝と言うのは実は非常に背が重要で、これ以降発行されたものは総て背に何かしらの文字やマークが刻まれています。これは分類していく上での重要な手掛かりになります。この背に字を書くのは、これまた中国の影響ですが、総ての背に字を書くというのは清の時代からです。これをそのまま用いたのではなく、背の上に鋳造所の1字、下に順番に一から基本は十までの番号、左右に)や○等のマークや漢字を入れます。あくまで基本で例外はたくさんありますが、、
最初に発行したのは何も背に字がなく無背と呼ばれており、実際に流通はほとんどしなかったため、製造数も少なく残存数もほとんどないのでとても高値になります。(私もまだ保有していません)
 
次に来るのが古常平と言う分類です。1678年から鋳造されています。これは、基本背に鋳造所を示す1文字だけ入っています。これも残存数が少ないので、どれも1枚10万円位します。私は1枚だけ所有していますがれは例外的に残存数が多く2万円程度の品です。
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これが古常平です。背上に一文字だけが入ります。
 
ほぼ同時に鋳造され始めたのが折二銭と言う種類です。二文銭になります。つまり基本一文銭(中国銭中心)ですが、大型の貨幣と言う事になります。こちらは庶民がぼつぼつ使用し始め、発行枚数も多くなり残存数も増え、結果現在の市場価値はグッと下がります。物によっては1枚10円程度にもならないものもあります。背には上に鋳造所の1文字下に二文銭を意味する二と言う漢数字。
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折二銭です。下に二文を示す、二と言う漢数字が入ります。
 
この程度で容量オーバーになってしまいました。申し訳ありませんが続くです、、