心身問題は、近代哲学の祖デカルトにより明確となった問題である。
デカルトが生きた時代は、理性が「俺様こそ万軍の師たる神だ!」と宣言し、森羅万象の上に君臨していた時代だった。
そのため、哲学においても、ヨーロッパの王侯貴族の肖像画に描かれているあのびっくりするような巻き毛の金髪カツラに象徴される大時代的な風潮の下、非常に大掛かりな舞台装置を持つ大体系哲学が、デカルト・スピノザ・ライプニッツらによって築き上げられた。
人間の理性にとって不可能なことなど何もない、と信じられた時代だった。
そうした時代の代表格とも言えるデカルトは、理性的に問題解決をする秘訣は「区別」を徹底することだと考えた。つまり、目玉焼きにソースがよいか醤油がよいかは、卵が完熟か半熟かによるよね、というわけだ(ちょっと違う?)。
そこで、概念を一刀両断する達人たるデカルトは、心身についても、精神と身体を全くの別物だと考えた。つまり、空間的広がりを持たない思考する実体としての精神と、空間的広がりを持つ延長実体としての物質があって、これらは相互に独立しているとした。
つまり、神様が何かの気まぐれで世界中の物質を消し飛ばしても、精神はそれだけで「え?何かあった?」とばかりに無関係に存在することができるというわけだ。
しかし、ここで、デカルトと文通していたエリザベスが
「心身が別物ということは分かりました。でも、心身はどのように関連しあっているのですか?空間的広がりを持たない精神は物質に働きかけることができず、仮に働きかけるとしたら、精神もまた空間的広がりを持ってしまい、おかしいのでは?」
とデカルトに手紙を出し、心身問題に言及しました。自らの弟子に痛いところをつかれたデカルトは、この手紙に「いや、今は心身の区別を強調するのに忙しくて。その件は後ほど…」とお茶を濁してしまった。
そのため、この心身問題はデカルト自身による根本的解決を見ることはなく、その後長く哲学者の議論の題材となる。
