日本で初めてのピアニスト!瓜生繁子(永井繁子) | クリスチャンのブログ

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岩倉具視を代表とする欧米視察団の中に~
アメリカに5人の少女を随行させた。

なんと!6歳の津田梅子(津田塾大学創立者)
9歳の永井繁子、11歳の山川捨松(結婚して大山捨松)……後、年長者二人はホームシックで帰国。

年少の3人は、異文化への順応が早かった。

様々な学びの中で、ピアノ教育もあり、特に永井繁子が音楽の才能に秀でていた。

留学から10年(1881年)で日本に帰国(日本語を忘れかけていたそうです!)

彼女たちは皆、アメリカで教会へ行きクリスチャンになっていた。

永井繁子は、アメリカで知り合った
瓜生外吉とその後結婚するのですが~

瓜生外吉は、何と!石川県出身です!

加賀藩支藩、大聖寺藩士の次男
1874年に設立された東京第一長老教会のメンバー、
クリスチャンです!

そして、同じくアメリカ留学中に、永井繁子と知り合う。

永井繁子は、日本に帰国してから、
東京音楽学校でピアノを教え、ピアニスト幸田延(幸田露伴の妹)を育て、
幸田延が滝廉太郎、山田耕作を教えました。

幸田延は、アメリカ、ベルリン、そして
1891年~ 1895年ウィーン留学しています。

余談ですが、私が四ッ谷の音楽教室で教えていた時に、幸田延の、ひ孫??の生徒がいたのです!(笑)

ビックリです!!(笑)