よく牧師さんが私達の魂は魂はとよく口にしていたけど、魂は実際どういうものでどんな役割をするものなのか教えてはくれなかった。


イエス様は私達の為に十字架にかかり全ての罪を背負ってくれたからあなた達の罪は赦されるとよく聞かされていたけど。


この文言か妙にいつも違和感を感じていた。

なんか押し付けがましいと思ってしまう。

捉え方か悪いのかもしれない。



私は小学2年生の頃から高校3年生まで教会に通っていたけれどもどうしても洗礼を受ける気にはなれなかった。そのせいで牧師と言い合いになりしまいには教会に行くことを辞めてしまった。

時が過ぎ私の子供達が別の教会が運営する幼稚園に入園してまた少し教会と繋がるようになったがどうしても洗礼は受ける気にはなれなかった。牧師の奥さんが勧めてくるけど頑なに拒否


なんか違和感がある。洗礼受けたらもう後戻り出来ない、一生自由なんて無いなどと考えてしまった。毎週日曜日教会行って休みの半分は潰れてしまう。また月曜日から仕事。休み無し❔


義務感が芽生えてきて教会から足が遠のいて行った。



魂の大切さをもっと教えてもいいのでは?

イエス様はイエス様はばかりで話もつまらい。


おまけに信仰、信仰とうるさい。

信仰の前に魂の学びを説いて欲しい。

魂の大切さをまず第一、要するに自分自身を大切にすることを教え次にイエス様にしよう。

だから心が成長しない子供がいる。何故?洗礼受けたよね?お母さんも受けて、お父さんも受けてクリスチャンホームだよね?

ちゃんとその子に魂の大切さの話しを教えてあげてよ。

魂=心だからそれが1番大事なのにね。

私も今までは自分を蔑ろにしてきた。自分が我慢すればいいなんて考えていたけどそれは間違っていた。魂が苦しんでいた。


この世は物質世界で目に見えるものばかり気を囚われ心の暗転を決めてしまう。


心の目を開いて目に見えないものを大事にするつまり魂を大事にすると心が好転して目にみえるものつまり現実が変わっていく。


心の受発信器によって現実が変わる。


自分自身を大切にする人が増えて愛に溢れこの世の中も変わっていくことを願います。


皆様の魂が輝き全てが好転しますように。