以前の私は生かされているなんて思ってもみなかった。

色々な経験を振り返った時、私は生かされていることに気付いた。

鼻血が止まらず死にそうになっても、川に落ちても、川が氾濫して土手が水で溢れても、自転車に牽かれても、タクシーにぶつかっても、大きな事故に遭ってもどれも命に関わることはなかった。中学生の頃謎の具合悪さに襲われた。今思えばストレスだったのだと思う。肩こりが半端なくて便秘も続いていた。あれは本当に辛かった。もう母の再婚相手との生活が耐えられなかったからだ。再婚相手の娘にも気を使い過ぎてた。

一昨年は信号無視した車が私の前をかなりのスピードで横切った。


2ヶ月ぐらい前は目の前で車同士がぶつかった。私の前を走っていたねむの木学園のトラックに一時停止を無視した若者が運転した車が出てきてぶつかった。
私の車には後ろに娘二人が乗っていた。トラックの方には申し訳ないけど私の車だったら間違いなく娘二人はこの世に居なかったかもしれない。
若者は止まりもせずスッーと出てきた。まさか‼️と思ったら目の前の車に気付かないわけなんてない。
寝ぼけてたのかなんなのか。

この日は朝車に乗り込もうとしたら長女が忘れ物を取りに家に入った。
玄関においてあったからすぐ戻ってきて車に乗った。本線に差し掛かりねむの木のトラックがきたので停止してそのトラックの後ろを走った。

長女が忘れ物を取りに行かなかったらと思うとゾッとする。

いつもならまた忘れ物をしてとイライラするところだけれどその日は珍しく私はイライラする事はなかった。



12、11年前は飛び出して来た車にぶつかって死ぬかと思った。私1人だったからそれが不幸中の幸いだった。


危険な目に遭遇する度生かされていることを実感します。


若い頃、嵐山展望台に行きその帰り熊の唸り声も聞いた。すぐ近くに熊がいた。笹藪に隠れてたのだろう。私達ペチャクチャ話しながら歩いていたがハッキリ聞こえたので熊も道に出てこようとしていたどころだったのかもしれない。

熊に威嚇されて今思えば危険な場面だったのかもしれない。


もう50年こうして生かされている。そして有りがたく自分の長所を活かして生活している。


長い前置きになったけど人間は大いなる存在に生かされて自分自身を活かすプロデュースをしてこの地球での生活を楽しむために産まれてきたのではないかと思う。