私はイジメられた歴史が比較的長い。
憶えているのは保育園時代から。

保育園では向かいに座っている男の子に机下で足を毎日蹴られた。

毎日その男の子はゆで卵をお弁当に持ってきていて口にいれて暫く噛んだ後、私に口を開けて見せる。私は具合悪くなりお弁当が食べられなくなった。何故先生に助けを求めなかったのか不思議だけれど。昔は本当に何も言えない子供だった。自分の気持ちを人に伝えるのも出来なかった。
私はスミレ組だったがユリ組の女のコに私と同じ名前の子がいてある日トイレでバッタリ会った時にこう言われた。
『あんたと同じ名前は嫌。名前変えてくれない?あんたのお母さんに言ってみてと』私は驚いたけどこの子頭がオカシイ。そんなの無理なのわからないかな?と思った。

私は小さい頃から少し変わっていたと言うより同年代の子より考え方、物分りの良さ、世間のコトを理解している等。上をいっていたと思う。

保育園の子のやること汚いことする男の子は許せなかったけど(笑)

小学1年、2年の時はからかいはあったけど先生達が良い先生だったから学校行くのは苦じゃなかった。

小学3.4年生の時は同じ先生でその先生のお陰でとんでもないことばかりで私は不登校にもなった。
クラスの皆は私を見下し私の人権なんてそこには存在しなかった。
辛い2年間。母親までもバカにされた。

小学5年生になるとクラス替えがあった。やっと抜け出せてイジメはなくなった。それと同時に学力が上っていった。

母親が再婚したが、あまりお金を稼げない人と結婚した。その前から貧乏なのに父親が出来たところで何もよくならないことは私はわかっていた。でも貧乏だからイジメられることはなくなった。先生は皆の前で給食費払えないこと言わなかったから。3、4年生の先生は皆の前でわざわざ披露してくれた(笑)

中学生になる前に隣町に引っ越したので皆とは違う中学になった。
不安で仕方がない。もともと内向的で友達が出来るのか、そこの中学は市内でもわりと不良が多かった。
姉も不良だったから怖さは知っている。 
私は真面目だったが容姿のことでからかいにあった。やはり貧乏でみすぼらしかった。学校指定の物を買ってもらえず周りと違う物で我慢した。学校指定の運動靴、学校指定のTシャツなど暫く買ってもらえず、給食費も未納。やっぱりそこをついてくる人が何人かいた。
中3になる前に母は離婚したので生活保護を受けた。さすがに皆受験生ともなるとあまり他に関心が向かないのかイジメられることはなかった。

高校生になってからは私の記憶ではないと思う。私が通っていた高校は進学校じゃなかったから皆ノビノビしていたし、同じような境遇の方もいっぱいいた。

社会人のイジメの方が陰湿だったかも。パート2としてまたアップします。

今はイジメで自殺する子も多い。私がそうならなかったのはそんな中でも私を理解してくれて寄り添ってくれたお友達がいたから。

そのお友達にあらためて感謝を言いたい。皆ありがとう❤️本当にありがとう🙇🙇🙇