また久しぶりに更新します。
さぼりすぎてごめんなさい。
なんとか生きてます。
疲れてます。
いつものことですが。
勝負する前に、
また振られました。
いいなと思ってた人に、
彼氏がいたことがわかり、
ああ、女性って怖いなって、
思ってしまいました。
相変わらず病んでて、
力が出ず、
休みの日の夕方の、
くっそ泥沼なあの感じ、
もう味わいたくない。
けど今後も何度も味わうはめに
なる予感がする。
さみしいよう。
ああ、さみしいよう・・・
昔からある感覚なのだが、
もう終わりだ、取返しつかない、って、
絶望することが多々あり、
でもそのたびに、
ほんのちょっとした、
小さな小さな出来事に、
救われたり、光を与えられて、
ここまで活きてこれた。
なんて、いつまでたっても、
中学生みたいな感性から抜け出せてない。
それは、一部分だけは、
褒めていいのじゃないかとおもう。
でも大部分は、批判されるべきところだとおもう。
大人にならなければいけないとおもう。
とりあえず社会のなかにいるひとりとして、
そして30越えた人間として、
最低限責任を持たないといけない、
ような気がする。
でも縛るような考えは嫌いだし、
赦したい、どこまでも赦せたら、
楽になる考えを持てたらと、
それだけは絶対忘れたくない。
その精神だけは、
自分の一生をかけて、
追求したいと思っている。
それがなくなればほんとうになにもなくなる。
負けたことを、受けた不幸を、
全てそこに注ぎたい。
そうじゃなきゃほんと、
なんのために生きてきたんだって、
そして次の人間にバトンタッチできたらって、
いやまだなにも渡すべきものを持ててないけど。
なにをいってるんだと自分でも思うけど、
でもちょっと、
申し訳ないけどそこの部分だけは、
なにもない自分が唯一誇れるのだとしたら、
そこしかないから。
そこを秘かに考えて考えて考え続けて、
いつか花が咲いてくれたら、と思っている。
芸術の本質は、
人がどう思うかは関係ない、
自分が自分に響かせられたら、
それでいいんだ。
吉本隆明さんが教えてくれたこと、
かつて、もう何年前になるか、
10年は経とうとしている、
引きこもりから急に上京して、
コミュニケーションなんて、
言葉自体聞いただけで虫酸が走る思いで、
孤立して、
というか人のいるところにいられなくて、
詩というのもおこがましいけど、
じぶんなりのフレーズをそういうとこから
いくつか吐き出した。
それは自分にのみ響くもので、
人にはまるで伝わらんかもしれない。
でもそれでいいんだって。
そういう、精神が芸術なんだって、
孤独ななかで吉本さんの本を読み漁り、
頭悪いし読書経験もないじぶんが、
一年とか二年とか、いやもっとかな、
ある日ふと、理解した。
簡単に理解っていっちゃだめだけど、
なんとなく、ああそういうことかって、
じぶんなりにわかったときは、
なんといったらいいのか、
いや、言葉にできない。
それで一生ついていくっておもったものだが、
そう簡単に自分の愚かさを変えられないし、
生まれ変わったとおもいかけて、
やっぱ全然だめで、
日々に流され、忘れては思い出し、
そして忘れて、しかし、
追い詰められるとやはり、
また戻ってくる。
戻ってくるからこそ、
大切なことを思い出せてくれて、
切なさってのはなくさないほうがいいよって、
そういう大切な大切な助言を思い出させてくれる。
ほんとに、だめな人間だけど、
吉本さんの精神を受け継ぎたいと思ってる。
たとえば糸井重里さんとか、
一番受け継いでるとおもう。
そもそも糸井さん経由で知ったからね。
その吉本さんが好きな、
太宰治や、親鸞がいて、
きっとその前にもいて、
無数の無名の人が昔も今もいて、
紡がれてきた精神があると思うんだ。
それをおれもつかみたいし、
つないでいきたいなっておもう。
それが、何も誇るところがない自分の、
唯一の誇りだとおもう。
かつて親鸞は、弟子をとらないといいながらも
それでも弟子にしてくれといってきた弟子たちに、
説いたという。
なにもいらない。
お寺もいらない。
戒律もいらない。
いいことをしようとするな。
それで何が残るか。
その精神性でしょう。
と言っただけで壊れてしまう、
下心が出てしまう。
悪いことしても、
それが悪いことだとわかっていれば、
思想なんていらないといいながらも、
それが思想になっていれば、
しかしそういうことをいえば
たちまち野暮になる。
言葉にせずともわかっていれば、
あたりまえの人間の感情を、
りきまずにもってれば、
そう間違えないというか、
正解を選び取れるはず。
ほんとは、フラットにいられたら、
難しいことじゃないはずなのに、
つい僕らは難しくひねくらせて、
たびたび間違いをおかす。
さて、ここらへんでとめておかないと、
つい醜態をさらしてしまう。
しかし久しぶりに書いてみると、
やはり気持ちいい。
ある程度吐き出せた気がする。
しかし毒を吐き出せば、
少なからず迷惑になる。
だから遠慮しながら、
ちょっとだけ吐いていこうとおもう。
さてそれでどうしていこう。
状況はそう変わらない。
なんとかして、
パートナーを得たい。
どんな手を使ってもいい。
もう、考えをすっかり改めた。
どんな卑怯でも汚くてもいい。
人を傷つけたりとかは極力したくないが、
かっこつけたり変なこだわりとかは、
もう捨て去りたい。
いやとっくに捨ててるつもりなんだけどな。
勇気とか、恥を恐れないこととか、
やっぱそういう正当な部分を
どうにかしなきゃならないのかな。
昨日一昨日あたり、
もうこれ以上この状況に耐えきれないって、
発狂しそうになっていた。
しかし日は沈み、また昇り、沈んでゆく。
寝起きの瞬間は、
今日はもう熱があるに違いないし
頭痛に吐き気に腹痛に腰痛にあとなにより
心が痛いから休もうかなとか思いながら、
起き上がってるうちに、
10分過ぎたぐらいで体調を取り戻し、
まあ・・・しょうがないから行くか・・・
って準備して出勤する日々。
晩酌する習慣を無理やりつけている。
それもよくないのかもしれないな。
そんなわけで今日はお酒を飲まなかった。
飲まなきゃ飲まないで平気だが、
急にやめるとなんだか寂しくなる。
でもまだ依存はしてないみたいだ。
別に、酒飲んで楽になれるなら、
飲めばいいと思うけどね。
今日は飲まないほうが体調がよくなって
楽になるはずだとおもって、
楽なほうを選んだのだった。
決めた。
苦しいけど、恥ずかしいけど、
なりふりかまわず、
誰かを求めてみる。
嗤われるのは嫌だ。怖すぎる。
恥をかきたくない。
ほんとうに死にたくなる。
罪悪感に悩まされたくない。
人としてやっちゃいけない卑怯なことを
ついやってしまったとき、
そういうときが一番つらい。
だけど、
だけどもうなりふりかまわず、
大失敗するかもしれないけど、
自分だけは自分をわかってやりたい。
応援してやりたい。
肯定したい。
悩んだ末に、こうしたんだって。
もうやりようがないと思いながら、
まだ、やれることはあるはずだ、
希望はあるはずだ。
中学生の感性が、
まだ自分のなかに大きく残っている。
それを誇ってもいいだろう。
ほんとに、
人からどうおもわれようが関係ないって、
その感覚をつかみたい。
ナチュラルにそう思える人もいるけど、
そうじゃなくてもいいじゃない。
どこまでいっても気にしちゃう自分も、
いいじゃない。
そんな自分でありながら、
人からどう思われてもいいという感覚を、
探っていけばいいじゃない。
人の数だけ性格があり、悩みがあるはずだ。
それで、いいじゃないか。
いいじゃねえかって精神、いいよね。
ああ、不意にそう思ったけど、
そう思えてるときは元気だし、
思えないときは病んでる。
うるせえバカ。知らねえよバカ。
口に出せずとも、
そういうふうに言っていいとおもう。
そういう精神は大切に心に持っていたい。
いいじゃねえかよって。
自分にも他人にも言ってあげたい。
肯定の精神。なおかつ反抗心、
きっと正しいって気持ちよく思えたら、
戦えるとおもう。
それにしても唯一の習慣にしてたブログを
書けないほどに、
病んでたなあ。
ちょっとしたきっかけでこうして書き始めて、
自分には書くことが必要なことだと再確認した。
変なことをつい書いちゃうけど、
それでいいんだとおもう。
もちろん良くない部分もあるとおもうし、
そういう内省は決して怠ってはならないとおもう。
また明日。
どっか飲みにいくかな。