風邪は治ったと思う。
しかし心の調子が
狂いに狂った。
もう何よりも、
自分の心の汚さとか弱さとか、
嫉妬心のみにくさとか、
そういうところにしか
目が向かない。
人のせいにしかけることはあっても、
人のせいにしてしまう自分、
というところに目がいく。
結局それも、
自分のことしか考えてないのかね。
今日は休みだったが、
ほぼ寝ていた。
昨日家帰ってからも、
ずっしりと気持ちが重く、
何のやる気もでず、
むしろ重さでだるくて、
今もお腹が張ってだるい。
ただ昨日、肉ともやしを買って、
せっかく買ったからと、
昼にごはんを炊き、
炊きたてほかほかごはんに、
納豆を乗せ、
いやもう卵もいっちゃおうって、
卵も乗せてかきまぜて、
食べたらめっちゃおいしくて、
そこに炒めた肉ともやしをかきこみ、
さらに卵かけ納豆ごはんをかきこみ、
最高だった。
夜も残りを食べた。
おかず一食分タッパにつめて
冷凍しておいた。
最近いつもこのパターン。
気が向いたときに解凍して食べる。
いつもロース肉だけど、
今日はロースとばらの混合にしたら
とてもいい感じになった。
次からそうしよう。
水のストックがなくなってきたから
次の休みに注文しなきゃ。
月の終わりのほうに、
四連勤が待っている。
それまでには元気出さなきゃなあ。
結局時間の問題もあるよな。
何気ない出来事で、
急にやる気や元気を取り戻したりする。
いつもそうだ。
一回リセットして、
また一から進んでいこう。
いつまで繰り返せばいいんだよって、
悲しくなっちゃったりもするけど。
しかし今日は鬱だったなあ。
そういうときにも変わらずに、
毎日日課をこなしていけるようにならなきゃ。
ちょっと躓いたぐらいで、
すぐ止まってたらだめだよね。
もっとしっかりしなきゃ。
ひとりぼっちだなあって、
どうにも思ってしまう。
そんなの、前からでしょう。
それでもやってきたのでしょう。
これからもおんなじように、
立ち上がっていけばいいだけなのに。
でもそろそろ救いがほしいなあなんて。
でも今のおれに愛される資格など
ないね。
でも愛は無償であってほしいな。
縁とタイミングだと思いたい。
作りかけの自作midiをよく聞く。
ちゃんと完成させたいし、
新作も作っていきたい。
どうにもやる気が・・・
今後どうしていったらいいのかなあ。
まずは目の前のことを
いっしょうけんめいやるしかないか。
やること、課題というか宿題は
明確に出てるから、
それをこなすだけなのだが、
そのやる気が単純に出ない。
愛されたいけど愛されていないし、
そのためにがんばろうとしても、
失敗してさらに落ち込む未来しか見えず、
だったら無のままのほうが楽だし、
そこから動くともっと悪くなり、
最悪再起できなくなるんじゃないかと、
どうしても動けずにいる。
何かを得るためにがんばるのが
自分はできないかもしれない。
何かしてもらってうれしくて、
がんばるということしかできない。
もらうことしかできないにしても、
乞食だって外出て乞うよ。
家のなかで乞う乞食もいないだろう。
視野と行動範囲を
どうにか拡げないとなあ。
次の休みには映画を見に行こう。
映画じゃなくても、
なにかしら街に出よう。
せっかく定期買ったんだし
使わないともったいないや。
押上までも行けるから、
スカイツリーも見にいける。
でももう2,3回行ったからなあ。
お金出して上まで行きたいけど
まだそこまでの余裕はない。
たった少しでいいから、
ほんの少しでいいから、
あとはなにもいらないから、
そう思っているのに、
その少しが得られない。
このやるせなさをどうしたらいい。
わかってるよどうにもならんのだろ。

今日は今日の出来事があって、
今日は今日の試みがあって、
だから昨日の憎しみは
今もどうしても消せやしないけど、
今日出会うたくさんの色彩に
目を凝らして生きよう

つくった詩というか、
指標になってる。
ことあるごとにこれを見返し思い返し、
また生きていこうと思う。
もう諦めちゃったほうがいいのか?
それは、どうしてもできない。
一切考えられない。
それもひとつの道ではあるのか。
仲間がほしいな。
精神的な仲間が。
どうしてぼくらはこんなに孤独に
陥ってしまうのだろう。
なかなか進歩しないなあ。
目に映るすべてをぶっ壊してやりたかったけど、
って竹原ピストルさんの曲の一節、
嫌なことがあったときの帰り道に
よく思い出す。そして実際、
ぶっ壊してやりたくなる。
冷めた顔したクリーニング屋のドアのガラスとか、
ハンマーか鉄バットでぶち割りたくなる。
明日からまた労働していこう。
今日新人が新しく入った。
明日いるかなあ。
一応同期になるから、
仲良くできるといいんだけど。
どんどん変わりゆくんだろうな。
今の職場の人たちも、
いついなくなるのかわからないし、
自分も違うところに飛ばされるかも
わからない。
なぜ鬱に舞い戻ってしまったか。
簡単な話だ。
好きになりたい女性との
可能性がほとんど途絶えたから。
始まりもしないうちに終わるという
いつもの情けないパターンで、
なによりその自分の情けなさに絶望した。
自分のことしか見れてないし
その事実にも絶望する無限ループ。
なにやってんだろうな。
体が重たくて重たくて、
がんばらなきゃって思うことさえ
できなくなってしまう。
いつもはがんばろうとまでは思えて、
そして結果はがんばれないんだけど(笑)
なんとかケリつけて、
日々鍛錬していこうよ。
少ししかできなくても、
せめてやろうとすることを、
寸前までとにかく近づこう。
絵を全然書いてない。
落書きでいいからやらないと。
いっこうにうまくならない。
そりゃ練習しなきゃなるわけない。
曲も作りたいし、
曲なら真剣に取り組めば、
なんとか形にはなる。
今までなんとかやってきた。
しかし漫画はなかなか完成させられない。
一作つくる労力が桁違いだし
モチベーションも保てない。
曲は最初の段階で5割はできる。
2、3割のときもあるけど、
それだけできれば上等、
同じフレーズ繰り返し聞いて楽しんで、
そのうち割合を上げていける。
上げられず墓地にいきかけの曲も
いくつもあるけど。
漫画でも、
なんとか完成パターンを見つけて、
人生のなかで、
ゆっくりでいいから、
作品を増やしていきたい。
人に見せられる作品じゃなくていい。
最後には見せたいけど。
日々気持ちを高めて、試行錯誤して、
それ自体を楽しんで、
やっていけたらいいのにな。
そう、過程を楽しめたら最強なのに。
アマチュアの動画作家の、
すあださんって人が、
2年ぶりに新作アニメをアップしていた。
絵がすごすぎて感動した。
元々笑いのセンス抜群で、
絵は全然、だと思っていたのに、
やっぱ続けている人ってすごくて、
背景もすごいし、
アニメーションの効果とかも、
どうやってやってるのかわからないくらいで、
ああ、すごいなって思った。
自主制作のアニメっていいなと思う。
一作好きな作品があって、
その人をフォローして、
正直センスないというか下手なんだけど、
それでもずっと絵を描き続けてて、
ちゃんと少しずつうまくなってる。
やっぱり続けるってすごいよ。
おれも、これだって思うものを、
一本ひたすらに磨きたいけど、
ふらふらふらふらと、
道に迷い続けて、
今日も一日鬱状態で寝て過ごして、
こうして駄文を書き連ねている。
おまえは何をしたらいいのだ!
何が得意なんだ!
とりあえず曲は、
人生のなかで、節目節目で、
作っていきたいとは思う。
でもドレミファソラシしかないんだよ?
プロでもないし曲調も固まってしまって、
なかなか新しさは作れない。
でもそれなりにやっていけたらと思う。
年に一曲でも二年に一曲でも、
それくらいのペースでも全然いい。
やっぱ漫画を描ける人になりたいかな。
キャラと話を生み出したいな。
どうしてもその願いは消せないかも。
何度も何度も諦め続けてきたけど。
夢見気分で夢想することだけは
どうしてもやめられなくて。
具体的な努力こそ全くしないけど、
夢見ることだけはどうしてもやめられなくて。
そんなダメダメな形だけど、
漫画とは、そんなふうに
ずっと付き合ってきた。
何度も別れて忘れもしたけど、
やっぱり別れきれないんだよなあ。
知らないうちに歳をとってしまい、
なにもしなくても人は歳をとるんだ。
それでもこのクソみたいな世界を
生きてきたってことは、
すごいことだよね。
少なくとも死なずにこれた。
それは感謝しかないけど、
どうあれ、自分で殺さずにこれたと。
単純に運がよかっただけか。
誰だって死にたくて死ぬやつはいないんだよな。
ここまできてしまったんだから、
また歩いていこう。じぶんなりの道を。
曲は趣味でほっといても
それなりにはやってくれる。
やはり注意して進めるべきは
漫画なのか。
挑んでは破れ続けてきた、もう何年間だ?
それでもこんな歳になっても、
まだ馬鹿みたいに諦められずに
挑もうとしている。
馬鹿で結構!
なんにも救いがない、と思い込んだ世界で、
なんにもすがりつくものがない、
と思い込むこの世界で、
ひとつ形になるものを、
作れたらきっと感動する。
ありがとうって、思える。
自分で自分をそう思わすためだけに、
おれはまた作品づくりに挑みたい。
それを目的にやってみる。
もう、恥ずかしげもなく自画自賛するよ。
おれはじぶんの作るものを愛せる。
ゆがむほど愛してる。
下手だろうがなんだろうが、
自分の子はかわいいんだよ!!
自分の曲ばかり聞くっていうのも、
とてもナルシスティックな行為だなあと
思うんだけど、
でもそれでいいじゃん。
活きることのほうが大事じゃね?
なんて思ったりする。
でももちろん、
客観的に見たらどうなんだってのは、
ちゃんと考えてる。
むしろそればかり気にしすぎて、
逆に見えなくなって失態をおかしたり、
している。
だから逆に手放したほうがいいんじゃないか。
詩とかでも、
一言でもなにか、
それらしいフレーズが浮かぶと、
うれしくて何度も見返す。
人から見たらたいしたことないかもしれないけど、
関係ないんだよね。
作るってことの感動、うれしさを、
もう一回初心に帰ろうか。
人は関係ねえ!って、
いつも気にしてばかりいる自分は、
強く思おうよ。
気にしないようになりたい!
そうするようにする!
って強く思う。
できるできないはあとだ。
おれはすごい作品をつくれるんだ。
おれは自分を感動させたい。
誇りを持ちたい。
なんとなく、
自分の持っている、
詩感とでもいうべきものが、
なんとなく、見えている。
それを確かなものに、
するのはちょっと大変かもしれないが、
それを探りながら作れてるうちは、
きっと大丈夫だと、
感覚的に確信している。
その感覚もものすごい冴えてるときと、
まったく忘れてしまうときがある。
現代社会で仕事して生きるなら、
忘れ切ったほうが楽は楽だと思う。
でもどうしてもうまくいかないし、
やっぱり何度も振られるし、
振られるまでいく勇気すらなくて
勝手に鬱になって落ち込んでさ、
自分で引き戻してしまう。
でもここまできたんだから、
もうそうやって生きるしかないでしょう。
吉本隆明さんが教えてくれた、
西行という人の詩

年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

歳をとって、かつて越えた山をまた越えようとしている、
それは自分の宿命なのだ、
みたいな解釈をしてる。
歳とるとできることも限られてくるし、
社会的な善悪を越えて、
これが自分のやるべきことなんだって、
見えてくる、そんなことを、
町山智浩さんが映画評論に絡めて
言っていた。
この詩も同じことを言ってるのだと思う。
おれは作品をつくりたい。
いざ描いてみると幼稚さにぞっとして、
一気にやる気がそがれるんだけどね。
でもそれがおれだ。
自分の醜悪な幼稚さに耐えながら、
少しでも成長していけなかったら
未来はないよ。
いい歳してってさ、
関係ないよ。とくに現代においては、
人それぞれいろんなケースがあって、
それは時代が進むほど、
それぞれさは拡大していく。
もうそんなことを
いちいち気に病む必要がどこにあるんだ。
だから、
もうぼろぼろでめちゃくちゃだけどさ、
まだ、なんとかやってみるわ。