昨日は疲れて寝てしまって、
それはいいとして、
結局今日も疲れて昼寝しまくってしまった。
昨日はPCの設置作業をしていた。
段ボールから出して、段ボールを
片付けるまで。
作業自体はそんな大変じゃないけど
温度が高すぎて汗だくになった。
他にひとりでもアルバイトが来れば
一緒に作業できたのに、
よりによって昨日にかぎっておれしかいなくて、
ひとりでがんばった。
でも今よく思い返してみると、
たいした作業ではなかったな・・・
でもじぶんでは満足していた。
それでいいのかもしれないな。
自己満足という言葉のほんとうの意味を知ろう。
じぶんではよくやったということと、
でも一般的には何も大したことができてない、
そのふたつのことを二重に認識できれば。
今日は溜まった洗濯も片付けて、
自分としてはよくやれたと思ったけど、
そんなのなんにも大したことじゃないよね。
帰省したとき、母は毎日当たり前のように洗濯して、
ご飯もつくって、お盆中は休みだったが普段の日はパートにいって、
めんどくさい子どもの面倒を見て、
それが当たり前のこととして毎日毎日生きていた。
金曜日に帰省から帰って、その夜、
土曜日、日曜日、ずっと寝込んでしまった。
はっきりいって疲れた。
もちろん疲れただけじゃないけど。
子どもの時の記憶はすごく薄れてきたけど、
家も結構荒れてた。
今も決して治らない荒れがあるけど、
それでも成長したと思う。
親が少しでも変わって、余裕をつくってくれたから、
なんとかかろうじて自分も今があると思う。
じゃなかったら潰れてたと思う。
大人になったらわかることがあると言われて、
ほんとかなぁと思ってたけど、
いやな差別的世界ばかりみえてくる。
そうしないと平和がつくれなかったんだね。
邪魔な人間を排除しなければ快適な空間は作れない。
温かい家族があっても、その外は冷たいってことだからね。
サザエさんみてもそんなことばかり思うようになってしまって、
それはただの嫉妬でルサンチマンかな。
残酷じゃないか、っていうおもいをありとあらゆるものに対して
してしまう。
じゃあ皆不幸ならいいのかって、
そんなことは絶対にないよね。
ひとりでも幸せな人が増えたらいいし、
幸せな家庭がひとつでも多くなったら、
その分ちゃんと世界に余裕が生まれるとおもう。
しかし、じゃあこの気持ちをどうしたらいいのか。
悔しさや残酷さはどうしたらいいのでしょう。
でもひとつおもうのは、
そんな気持ちを捨てずに持ち続けていよう。
ずっと抱えていると、
ある日ふと考えが浮かんだり、
人の考えに出会ったりする。
目からウロコが落ちる可能性はいつでもある。
芸術だってそういう瞬間に生まれると思う。
今日は飲みにいこうかなと思うけど怖いなぁ。
怖がっちゃだめだな。
作品をつくっていこうと思ったのに
全然果たせない。
作品をつくることを主眼に置いて生きていこうと思ったことを
忘れてた。
絵の練習の仕方がわからない。
練習しなきゃ上達するわけがない。
昔の芸術家は感性だけで絵を描いてたイメージがあるけど、
ほんとは違うのかもしれない。
学校ってかなり早い段階から存在してて、
バリバリ理論的な鍛錬を積んで描いてたんじゃないかな。
結局考えられなきゃだめなんじゃないか。
感性だって、無意識での思考だと思う。
ああ、今日もスピードを出せなかった。
スピード感を出せなきゃだめな気がする。
止まらずにやっていかないから寝ちゃうのかな。
休み方もわからないんだよな。
さて・・・外出てくるか。