なんとなく熱っぽくなったり、
鼻が詰まったり、
喉に違和感を感じたり、
しばらく過ごしてると緩和されたり、
寝て起きるとまた発症したり、
最近地味に繰り返している。
概ね健康ではあるんだけど。
もう夜になっちゃった。
せっかくの休日。
油断しちゃったかもしれない。
さぁてと、またぼちぼちとやっていくか。
けっこうやっぱりフラッシュバックはあるんだよなぁ。
感情が渦を巻く。
でも別に大丈夫になってきた。
こういうもんなんだと知っていれば。
いやはいやなんだけどね。
しかしまったくの無力ではない。
太宰治さんの、
おれはいつだってきついし苦しいんだ、
という言葉がとてもありがたく感じる。
新しい生活をはじめようと思ってるのに、
なかなか思うようにはいかないね。
そう簡単にスイッチを切り替わらせてはくれないか。
合間をぬって、絵を描いたり音楽つくったりしたい。
でもそんな器用にはできなくて、
ついバランスを崩す。
うまくはまると、熱病みたいになる。
そして完成すると冷める。
年に数回あるかないか。
もっと夢中になれたらなぁ。
習慣化させたいと思ってる。
でも、いままでの習慣もあるんだよなぁ。
これがなかなか手ごわい。
立ち向かいたい、考えたい、って気持ちも、
弱まったり強まったりする。
逆境が発生すればむしろ燃える。
でもなにもない平和こそ尊い。
波のように押し寄せる自分への否定感、
かなり根深い。
え、だめなの?生きちゃいけないの?
そんなわけがあってたまるかと。
なんなんだろうなこの気持ちは。
生きることだけは図々しくしたい。
強靭でありたい。
生きることだけは正義だとおもいたい。
ふと自分を客観視してみたり、
昔の自分を思い返すと、
ああ、あの子にはいきなりこんな仕打ちをしたら、
そりゃあ耐えられないって、とか思ったりする。
でも、実際はなんとかやってきたし、
あの頃の自分にも萌芽はあったんだなと思う。
あまり進歩してない気もする。
ていうかまだまだ振り返るのは早いな。
なんでもなかった無智な人間が、
落ちこぼれるという契機を境に、
這い上がっていく。
そんな妄想、社会は知ったことじゃないし、
だめならだめと言われるだけなんだけどな。
社会としての自己と自己としての自己は分離可能だと、
吉本さんは言う。
分離というのは人間力なんだと言う。
真の芸術とそれ以外は区別せよ、ということも
それと無関係ではなかろう。
人間力とは、理想の可能性を思い描く力のことだと。
ただの現実主義者で終わってはならない。
理想は持ちたい。
そもそも、なんでルールみたいなのがあるんだろうね。
厳しくする理由だって、ほんとは忘れてたりして。
よくいう、手段が目的になってしまうということは
たくさんある気がする。
うちひしがれながら生きなきゃいけないのは
仕方ないのかな。
大人は強い。
気を抜いたらやられる。
負けてられない。