そうだそうだと思い出した。
ああ、頑張ると覚悟することを忘れてたわ。
すっかりと。
手を動かしたり、計画を立ててみたり、
食べ物で自分にご褒美を与えてみたり、
それはあくまで手段であって、
気付いたら、楽したいって気持ちだけが
出てきてしまっている。
工夫するということに主眼を置いてしまって、
道具はあくまで道具であって、
一番は、心意気っていうか。
まず自分の心があるんだよ。
なりたいものがあるんだ。
たいしたものじゃないしそれでいい。
そのために、寒い冬の朝にも、
毛布を剥ぎ取って、立ち上がるんだって、
まずそれが根元だよ。
実際できるかっていったら、
寝ちゃうよ。とても出られなかった。今日もね。
まったく苦にならず起きる方法が、
もしかしたらどこかにあるかもしれない。
勿論、、そうなったらなんていいんだって思うけど、
でもそこにあった本当の問題を解決できているのだろうかと。
以前、他人の会話が聞こえてきて、
低血圧だと朝起きれないんだってね。
でもそういう単純な話なんだろうか。
朝起きれないというのはもっと根深い、
その人の生まれ方まで遡らなきゃ
ほんとうの原因は見えないんじゃないかって
思うんだけど、どうか。
お腹を引っ込めようと、最初は腹筋をする。
でも腹筋は地道にやらなければ効果が現われない。
なにかダイエットの薬が開発されて、
飲んだらすぐ痩せられるようになったとしても、
ほんとうはお腹が引っ込んだことにならないんじゃないか。
禁煙にしたって、ただ煙草をやめればいいわけじゃない。
煙草を吸うことで満たしていた何か、
それを必要としないようになれたときに、
ほんとうの禁煙成功があるのではないか。
じゃあ、楽することはいけないことなのか。
そんなことは全然ないだろう。
そこで痩せた考えをしてしまうと、
ただ苦しいばっかりになっちゃう。
これはまた違う問題かもしれないんだけど、
清貧の思想は嘘だって吉本さんは言う。
幸福そうな市民たちが大多数を占めるように
なることが解放の理想であり、
着たきりの人民服や国民服を着て
玄米食と味噌を食っている凄みのある
清潔な倫理主義者が、
社会を覆うのが理想でも解放でもない。
って言ってる。
話がずれたかもしれない。
なにか混同してるかもしれない。
だけどふと思い出したから書いておく。
だけどあれだな。
こうして書いていると、
俺は、痩せようとしてるのかな。
それはあんまりいいことじゃないかもな。
とにかく毎日一定量手を動かしてれば、
それでいいじゃないかっていうほうが、
豊かかもね。
あとは好きなように、楽しんで、
人とも付き合って、いろんなところ行って、
そうするべき、いや、べきなんて言葉は
使わないほうがいいのか。
あああ、もう、わからないっていうか、
思考力が低下してる。
今日も余計なこといろいろ書いちゃったかな。
わからないことはわからないと言っておかなきゃ、
ほんとうはだめなんだけど。
ちょっと書いてみてしまった。
ああもう蛇足に蛇足を書き足そう。
この前書いてみた存在力という言葉。
生きている人間には必ず、
それがあるだろうという考えだ。
もうそれだったら存在そのものであって、
あとなにが違うのかということになるが、
いくつか大事な点があって、
ひとつは、全ての人間を対象にすること。
絶対とりこぼしちゃいけない。
もうひとつは、全く平等であること。
絶対に差を認めない。
それと、その力は、ただそこに居るという、
それだけのことで、それ以上の意味はつけちゃいけない。
もしそのほかに、人間に付加価値をつけたいなら、
また別の言葉をいくらでも持ってきて勝手につけてほしい。
俺のいう存在力とは、
存在そのもののことではあるが、
それは全く平等で、そして力なのだということ。
自分にも他人にもそれを認めること。
とりあえず今日は書くだけ書いてみた。