今日はかなりだるかった。

ギリギリまで寝てしまった。

昨日の夜、とうとう吉本隆明さんの

初期ノートを読破した。

所々分からなくて飛ばしたけど。

今までにない感覚を味わえた。

すごく心地よかった。

中盤の、宮沢賢治論の草稿はすごかった。

人生観が変わるほど、って言いすぎかな。

軽々しく越えなきゃとか言っちゃいけなかった。

宮沢賢治の一生について吉本さんは、

前人未到の孤高な生涯と言っていた。

詩については全然分からない。

そんな世界があるとは知らなかったからね。

もう少し触れてみれば、分かるかもしれない。

吉本さんの文章だって、

最初はさっぱり分からなかった。

言葉の幹は沈黙である。って、

その言葉に本当に意味なんかあるのか?

って思った。

職業循環のスピードが問題なんだって、

正直そのときはデタラメいってるんじゃないかとすら

思ったと思う。

だけど前にも書いた気がするけど、

あとになって、どうしようもなく沁み込んで来るんだよ。

現実の風に当たれば当たるほど、

染み渡ってくるんだよ。

石川啄木の詩で、

二種類の詩をあげてどっちが優れてるかという話になり、

秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でて吹く

というのと、

空家に入り 煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに

というので、後者のほうがいいという話が、

「よせやぃ」という本のなかであったんだけど、

そのときは正直全然分からなかったけど、

今も本当には分かってないと思うんだけど、

我ら、青年、危機とかいうワードと、

空家、煙草、一人、という言葉を比べてみれば、

やっぱ後者かと。

どっちのほうが暗くて寂しいかって考えてみた。

今思うとまだまだこんなの初級だろうな。

詩の世界は難しいけど、

ちょっと理解してみたいなぁと思う。

たまに書いてみたりするんだけど。

吉本さんがいつも言っている、

自分が入っていないじゃないかってことにならないように、

自分をあらわすような、

解放できるような詩をつくってみたい。

初期ノートの中にある文章は、

吉本さんが20代の頃に書いたものだそうだ。

ええっ!?って思うよね。

早熟ってレベルじゃない。

吉本さんはよく謙遜したり自己嫌悪的なこと言うけど、

鵜呑みにしちゃいけないね。笑

ああ、吉本さん。

今も寝てなければ、この東京のどこかで、

思索を続けているんだろうなぁ。

初期ノートで検索したら解説してるブログもあって、

吉本さんは一人で責任をとり続けているのだと。

かっこいい。

深夜、正直また心を衰弱させてしまって、

そんななかで読んだものだからしびれたよ。

俺も責任とらなきゃって思ったよ。

両親、祖父母に援助してもらって、

こうして呑気に東京で生活してるんだよ。

衰弱のなかでいろいろ考えたよ。

だけど文字ばっかりに囚われて、

まわりの人のことが見えてないと気付いたよ。

手をさしのべてくれる人はいた。

どうして気付かなかったのだろう。

そして、今もどうしていいか分からない自分がいる。

ひっこみがつかなくなったのか。

やらなきゃいけないことなんていうのは、

本当は簡単だったのだ。

心の問題は心の問題で別にあるとしても。

ああ、いつもこうやってだらだら書いてしまって駄目だな。

やりすぎても後が続かない。