久しぶりにかなりバッドなので書こうと思います。
お風呂に入っているので出るまでに書き終わりたいです。
妹に彼氏ができた。なんてことない会話の中で突然「彼氏が」と言い始めて写真を見せられた。
ツーショット。お前の彼氏の顔なんかどうでも良いけど。
妹は厳密には妹じゃないし妹じゃなくなるために戸籍の名前まで変えてるし男性ホルモンも定期的に打ってたし、なのに結局ノンケかいと思った。
ジェンダーと性的指向は関係ないのは分かりつつも思った。大体付き合うなら女の子って言ってたくせに嘘つき。心から失望した。
マチアプで頻繁に誰かと会ってるのは知ってたけど、いざこうくると苦しい。
そういえばわたしの最近の悩みといえばほとんどお金のことがパートナーのこと。
妹がそうなって更にだけどわたし身の回りに独り身の人がほぼいない。考えつくのは2人だけ。本当にいない。親しくしている人はほとんど既婚者か彼氏持ちである。24歳なんだから当然と言えなくもないんだけど。
対してわたしと言えば、ペアーズをやり始めたは良いものの、都内に電車で繰り出して行く、付き合ったとてそれを継続して行くという元気がない。
最寄りの駅近くのお店を予約してくれるという人が昨日いて、29日に約束をしたのだけども、その夜にひどい焦燥感と不安に襲われて涙が出て苦しくて怖くて眠れなくなって、ごめんなさいとお断りの連絡を入れたらようやく寝付けた。
池袋から約1時間の地元に来てくれる人がそもそも少ない。けど、わたしはそれ以前の問題だった。
人と会うことができない。人に会うのが怖い。多分、男に会うのが更に怖い。
というか、今のわたしには不可能であると言ってもいいと思う。難しい。
明後日火曜日に友達と最寄り駅のミスドに行く約束はあるのだけど、それは行けそうなことを考えると、知らない人+異性+予約するような店+今後のことを考えなきゃ行けない、値踏みされる、見栄を張らなくてはならない……とかが壁になっているんだと思う。考えるのも疲れる。いやなきもちになる。
人に会うのが怖いって、そんなことで全く友達すらまともにできない、友達とすらまともに会えないのに、恋人なんかできるわけがない。しかもマチアプで。
ところでパートナーがいる人に限って、パートナーがいることは人生においてどうってことはないみたいなことをわたしに対して言ってくる。
彼女たちはパートナーがいることが当然すぎて、
パートナーが出来ない、
誰も自分を認めても好きになってもくれない、
自分に恋愛的価値を見出す人はいない、
いざという時泣いている時辛いとか困った時電話をかける相手がいない、
些細な発見をした時に報告する相手がいない、
社会的にパートナーがいないということに対するコンプレックス、
等を忘れているからそんな風にいうのだとしか思えない。
実際相手を見つける前は処女コンプレックスでセックスの話しかしなかったのに付き合い始めたら楽しげに彼氏の話をし始める友人や、
結婚は人生に必要ない・結婚しているかどうかはその人の何も価値を左右したりしないという割にやけに早く結婚している友人などがいるので、
この説は当たってると思う。
喉元過ぎればなんだと思う結局は。
これを読んだ当人たち別に責めてるわけではないこれはわたしのコンプレックスの話なのでヘラらないように。
つまり「結婚したら幸せか」どうかというのはわたしの論点ではなく「1人でいる場合に感じる不幸せ」というのがわたしのそれだと思う。
幸せじゃない結婚や交際というのは大いにあると思うが別に結婚や交際をしていなくても幸せじゃないことはあって、それは逆も言えるわけで。
わたしは「1人でいることは絶対的に孤独でつらい」と言っている訳ではなく(いや、感情的にそう言う時もあるけども)、
「1人でいることによって生じる不幸せがつらい」というのが正しいんだと思う。この話をするときはいつもコンプレックスを刺激されて感情的になっているのでこれを正しく伝えられた試しがない。
だから「パートナーがいても不幸せだ」「1人でいても幸せだ」などと説かれても(しかもパートナーがいる側の人間に)全く響かないどころか発狂するというわけなんだと思う。
無論パートナーがいないわたしにパートナーがいるならではの苦しみを言われたところで、わたしはコンプレックスを刺激されるだけで全く共感も同情もできないからしたふりをするだけなのは火を見るより明らかなんだけど、
今のところ彼氏や旦那の愚痴を言ってくるような友人はいない。というより惚気を言ってくる人はいるけど既婚者となると旦那の話題自体を出さない人ばかりだと思う。
わたしの苦痛がなぜ「1人でいることによって生じている」のかがわかるのかというと理由があって、それは去年に1ヶ月だけ男と交際みたいなことをしていたからだと思う。
バンドマン崩れの元ホストと付き合ってほぼ奢りでデートする毎日で携帯の契約名義を貸してと言われ別れたあれ。
わたしはあの期間だけは紛れもなく今襲われている苦痛を感じていなかった。開放感があったと思う。すごく気持ちが楽だった。パートナーがいるということがどれだけわたしの苦痛を取り除くのかというのがわかった。まあ1ヶ月中2週間は音信不通でODした状態でデートに来られたり返信はろくに帰ってこない折り返し電話もないみたいな実態は散々だったんだけど、自分を恋愛的価値として友達とかじゃない特別に評価して認めてくれる人がいて、というのはすごく気分が楽だった。
この開放感は二重整形の時と同じだと思う。ずっとコンプレックスだった重たい奥二重と一重のガチャ目を揃った平行の二重にしてもらった時。
呪縛から解放されたみたいな、すごく気持ちが軽くなった。
もう絶対にあの頃には戻りたくないと思う。二重を作るのに1時間も2時間もかけてようやくできた歪な二重が取れないかどうか一日中気にしていなきゃいけないような毎日には戻りたくない。
次にお金のこと。
わたしが年金で得た三桁万円のうちのほとんどをあくねことかいうソシャゲに溶かしたことは知っている人も多かろうだけど、その他にもしおを飼い始めたことがある。1ヶ月半に一度ペットフード8,000円、何かあった時のために月々の貯金5,000円、そもそもしお自体が45万でケージクレートオモチャ色々全部わたし持ち、おやつやおもちゃ消費した分買い足す、などがあるので貯金は去年末に底をついていて、それからはお母さんがペットフード代を出したりしてくれている。ちなみに病院代は月々の貯金から出している。
それからまぁわたしの漫画大人買い、衝動買いで高い服を買いまくる、そして課金課金課金などの浪費が重なり現在の貯金残高は4桁。
お金がなくなるとメンタルがやばくなるっていうのは本当で、ジュースとか自分のおやつを買うのにもグッズを買うのにも新作を買うのにも全て我慢しなきゃならなくて、まぁそれがあるべき形なんだろうけど。
それにプラスして今お金がないのは先月金沢旅行に行ったことと今月四万の服を買ったこと。それだけなら来月に振り込まれる年金でプラマイゼロなんだけど、6月にあくねこのオンリーイベントにサークル参加しようと思っているため、その印刷代が嵩む。というか、取り敢えずこれを見てくれ
これは買い物費、アフター費、交通費、雑費は高めに見積もってるんだけど、美容室代と参加代と印刷費はまんまの値段。
84pと漫画と56pの漫画を30部ずつの値段だったかな確か。でも実は3冊目の原稿も今していて、それは80p超えなので3冊30部ずつ刷るとまぁ五万はすることになる。
そしてイベントは6/9で年金の配布日は偶数月の15
日なので、4月からイベントまでに使えるお金は一万いくらかということになり、それにプラスしてあくねこの課金代があり、しおの貯金があり…と考えると破産している。
しおの貯金はわたし自身の取り決めなのでパスできるとしても、課金代は削れるところまで削っているのでもうしんどくて、倒れそう。
それでバッドに入っている。元気がなくて原稿も進まない。売れる気もない。
ということを先ほどフォロワーに話したら、「既に脱稿している2冊のみ10部(現地で絶対に捌ける部数)だけ刷ればいい」という話になり、そうしようかと思った。まだ計算はしていないのだけど、多分それだと少し余裕が出て気持ちが楽になると思う。
あと原稿はやりたくなるまで手をつけない。本当に鬱になりそうだ。鬱なんだけど。既に。もう遅くはあるんだけど。
という感じで、オチもないのでしおでも貼るか
おしり