第四金曜日、
仕事が跳ねるのが19時頃。
20時前には国立の部屋へ帰り仮眠。
22時過ぎに起きて風呂と身支度。
23時半には国立から中央線、
吉祥寺乗り換え井の頭線で渋谷へ。
適当に腹ごしらえして、
スペイン坂を上って右折。
パルコから公園通りに出て上り切ったら、
左手に渋公、右手にエッグマン。
そのエッグマンが入っているビルの4Fが
DJバーインクスティック。
朝まで騒いで、始発を待って、
部屋へ帰って爆睡。
起きるのは夕方。
飯食って、所用を済ませて、
中央線~井の頭線でまた渋谷へ。
インクの第四土曜日はCLUB SKA。
そんなパターンで過ごしていた時期が94年~95年。
こんな感じ。
これは私物でインクからロックウェストへ移った頃のスケジュール。
大箱でも小箱でもない中箱とでも呼べばいいでしょうか、
一見客でも居心地の良い適度な広さのフロアでかかっていたのは、
自分がイメージしていたソウルのファンキーさ、
泥臭さがあまり無い、でも踊れる曲の数々。
それもそのはず。
フリーソウルの当初のコンセプトは、
"本人いわく「<オーディナリー・ジョー>のような
メロディアスなソウルを探求していくことに
東京らしさがあると思った」
―本書第三章より転載―
この本人というのはオーガナイザーの橋本徹氏の事。
曲はこれです。
Ordinary Joe / Terry Callier
よりメロディ志向であった事がわかります。
この辺りが「ソウルはJBだ」、「いやオーティスだ」みたいな
旧来の頑固ソウルオヤジ的な価値観とは一線を画していた訳ですね。
過去の遺産の再構築、新たな価値観の提示。
だからこんな曲も普通に「ソウル」としてかかっていました。
I Feel The Earth Move / Carole King
Starman / David Bowie
これには最初ビックリでした。
キャロキンはSSW、ボウイはグラム。
そんな固定概念しかありませんでしたから・・・
後にこれらの選曲の意味も理解出来たのですが、
とにかくより広範囲で自分の感じるソウルミュージックを
選曲、提示していこうという姿勢に完全に乗っかってしまった訳です。
それまでもいろんなクラブイベントに足を運んでいましたが、
単純に好きな曲をテーマ性も前後の脈絡も無く
ガンガンかけてたものばかりでした。
なのでフリーソウルのこのコンセプト、姿勢は目から鱗でしたし、
自分に「DJとはなんぞや」の答えを
明確に示してくれたものだったのでした。
当時これだけの志を持っていたイベントはフリーソウルと
下北251で行われていたロカビリー系のクレイジービート。
自分の知る限りではこの2つだけでした。
ここで俄然DJをやってみたいという欲求が膨らむのですが、
自分が始めるのはまだまだ先の事です。
当時は掘り下げる事とギャーギャー騒ぐ事に夢中だった無邪気な頃でした。
個人的にはこの曲が一番アガりました♪
Waiting On You / Pointer Sisters
ナンパしたりされたり(笑)
Thinking Of You / Sister Sledge
もちろん昔から大好きなコレでは♪Ever Changing Mooooods,Yeah!!の大合唱。
My Ever Changing Moods / Style Council
当時の教科書(笑)フリーソウルコンピ。
その後、自分が買い集めたアナログの一部。
この辺りが広く東京クラブシーンにとっても実りの季節、
ピークだったような気がします。
95年のインク5周年のクレイジーなバカ騒ぎが
インク最後の記憶にして最高のパーティーだったかな?
その後、96年にインクは閉店。
フリーソウル・アンダーグラウンドは、
オルガンバー~ロックウェスト~OTOへと箱を転々とします。
この頃、渋谷系最後の花火(笑)カジヒデキがソロデビュー。
自分の転勤の時期と重なり、一時期渋谷から遠のく事になります。
音楽業界入りの為に東京に戻って来た頃、
行われていたのはピチカート・ファイヴの「お葬式」(解散ライブ)
そう、渋谷系の終焉、でした。
はい、ようやく〆です。
ミッチの渋谷90’sグラフィティ、これにて完結。
次回は番外編。
久しぶりに心のベストテンシリーズいきます。
もちろん渋谷系で10枚。
では最後はお約束、フリーソウル最大のクラブヒッツ、
みんな大好きジャクソンシスターズでお別れです。
Miracles / Jackson Sisters
お付き合い頂きありがとうございました。
おしまい。