フランス大会、日韓大会と着々とレベルが上がって来た日本代表、そして日本は日韓が終わってから、次のドイツ大会への目標が定められた

そのドイツへ行くべき日本の監督を任されたのは、元ブラジル代表で日本にも大きく関わりのある人、ジーコが就任

前任のトルシエと違い知名度は高い、ただ監督業に関しては、鹿島でアドバイザー的な事をしていたぐらいで、世界で戦える実績があったかと言えば、難しいところだった

そして黄金世代と呼ばれた世代が中心となって来る

そして日韓では代表入りを果たせなかった中村俊輔に高原直泰の2人もジーコJAPANに欠かせない存在になった

それと同時に日本人が欧州のクラブに移籍する事も多くなって来た、中村俊輔はイタリアへ、高原はドイツへ、中田浩はフランス、鈴木隆幸はベルギーと海外への移籍が当たり前にまでなって来た、実際代表でも国内組や海外組と分けられ出したのは、この頃からだった

欧州へ渡る選手が増えると言う事はそれだけ日本人のレベルは上がって来たと言う事…

しかし欧州へ渡り成功したものは、ほとんどいない

ましてや中堅クラブでの問題、この中で欧州で安定したプレーを披露出来たのは、中村俊輔、小野伸二、中田英寿ぐらいだ

そしてこの頃、行われたアテネオリンピックも大久保や松井、阿部などがいたが、結果はグループリーグ敗退…

結局この世代から、その後ドイツに選ばれた選手はいなかった…

そしてアジア予選を勝ち抜いた、日本は3大会連続で本大会の切符を獲得した

そして日本は、オーストラリア、クロアチア、ブラジルと日本とって決して厳しいグループと言うわけではなかった、進化を試すには丁度良い組み合わせだったかも知れない

そして始まったW杯…

日本は初戦のオーストラリアに3-1の逆転負け、続くクロアチアにも決定力を欠きドロー、最悪の状況で強豪ブラジルとの対戦になった…

結果は4-1の大敗に終わった、何とも悔いが残る大会になってしまった、決して全てが悪いと言うわけではない、ただ負けたのに良かったと言う事でも、勿論ないに決まっている

日本とって2度目のアウェーでの大会、確かにフランス大会の時に比べれば、明らかにレベルは上がっている、ブラジル戦以外は勝てていた試合だった、勝っていれば最後のブラジル戦の結果もおそらく、変わっていたかも知れない

そしてこの大会の後、日本は大きな者を失ってしまう

中田英寿引退

誰もが驚いた、しかしこう言う事は遅かれ早かれいつかは、やって来る事だった

そして日本はオシム新監督の元、2010年南アフリカへの戦いがスタートした

中田英寿がいなくなり、黄金世代がベテランになり出した日本にとって、必要になってくるのは若い世代の選手達

ある意味ドイツ大会は世代交代を告げる大会でもあった

中田英寿もそうだが、20世紀最高の選手と言われたジダンもこの大会で引退した、それと同時に新世代の選手達が大会を盛り上げた

代表的な選手で言えばアルゼンチンのメッシ、ポルトガルのC・ロナウドは特に印象的だった、後はドイツのシュバインシュタイガーやラームもこの大会からだ、そして大会が終わってからも若手がどんどん出て来ている

ブラジルのパト、スペインのセスク、イングランドのウォルコットなど、若い実績を積んで来ている選手が出て来ている

しかし日本は、若い世代が徐々に代表入りをして来ても強い戦力としては、まだまだ心細い

オシム監督で戦ったアジアカップでも主力と言われたのは中村俊輔や遠藤、中澤、高原と言ったドイツ組がほとんどで、言わばシドニー五輪のメンバーが主力、アテネ世代では、阿部と鈴木啓が安定していたぐらいで、やはりシドニー組の実力が目立っていた

そして日本にとって予想外の事態が起きた…
今になって言う事でもないけれど、今から日本のサッカーがどうなるのか!!

過去日本はW杯には3大会出場を果たした

初めての大会は98年フランス大会

現在の代表監督である岡田監督が采配をしていた頃…

日本にとって初の世界舞台は惨敗に終わり、世界の厳しさを選手だけではなく、サポーター等も知る事になった

ただ1人のカリスマがこの大会から欧州へと渡った…

その名は、中田英寿

イタリアのセリエAへ行った中田は、確実に彼が世界基準と言う事をそのプレーで見せつけた

そのカリスマは、日本代表で大きな存在だった事は、言うまでもなく、しかし周りはそんな彼のプレーを見て「わがまま」や「自己中」なプレーと批判する声もあった

代表で共にプレーした経験をもつ、日本が誇るスター選手、三浦知良は番組でヒデの事をこう言っていた「あいつのパスはトラップが上手くないとダメだね」、確かにヒデのパスは鋭く、時に受け手にとっては、かなり厳しいパスに見えたりもする。
それが自己中などと批判を受ける原因だった事は間違いない

しかしそれが日本人のサッカーに対しての甘さではなかったのか…

ヒデは常に世界を見て戦っていた、だからこそ厳しいパスを送り続けた…

ヒデのパスに対応出来なければ、世界に対応は出来ない…

そしてフランス大会以降、日本は大きく進化を遂げる、1999年ワールドユース(現U-20W杯)で小野伸二、稲本潤一、高原直泰、小笠原満男などの黄金世代と言われる世代が準優勝をなし遂げた、メキシコ五輪以来の快挙

当時監督をしていたトルシエも日本人はあっていたのかもしれない、組織的な戦術を4年間変える事なく選手に教え続けた、それがフラット3、そしてユースに五輪、フル代表とすべてを兼任していた事も日本にとっては大きかったのではないだろうか

監督が変われば戦術も変わる、しかし監督が同じなら世代が変わっても関係なく選手達はプレーすればいい

そして中田英寿に黄金世代からは柳沢、小笠原、中田浩、小野、稲本等が加わり…

向かえた02年日韓大会

開催国として日本は、決勝トーナメントが絶対と言われていた、フランス大会は初出場と言う事もあって、結果的には残念だとは、思っても仕方がない結果だったような気しなくもない

しかし開催国となればホームと言う事もある、不甲斐ない試合は、するわけには行かなかった

そして結果はベスト16

目標のグループリーグ突破は達成出来た、確かに日本が戦った中にブラジルやドイツ、アルゼンチンと言う強豪国はいなかった、強かったので言えばロシアぐらいでどちらかと言えば中堅ぐらいの実力、同じ開催国の韓国はポルトガル、イタリア、スペインと強豪国を次々と倒して行った

しかし目標を達成した事はやはり評価すべき点ではある、ただ本当の進化が為されるのは…