浅草街歩き、古き思い出を訪ねて | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。


浅草は50年前の思い出の街です。

学生時代に浅草松屋でアルバイトしていました。一時は学校に行くより、浅草松屋で仕事をする方が多かったです。当時のデパートは平日でも客で混んでいました。


浅草松屋は東武宇都宮線と最古の地下鉄浅草線の浅草駅の上に建てられています。


その地下にレトロな浅草地下街があり、地下鉄と松屋に繋がっています。

吾妻橋交差点の東武駅の前に小さな地下街への入口もあります。

地下街を歩く人は少なく、開いているお店も少なくなりました。

昔はもっと人やお店も多かったと思います。夏はクーラーなんて無く暑かった記憶だけ残っています。

松屋もデパートの雰囲気はなくなり、普通の駅ビルになっていました。
でも階段だけは昔のままでした。
屋上に出て見ました。今はビヤホールに利用されているみたいです。
奥にある神社だけ、昔のままでした。
松屋の中に昔の写真がありました。
この人混み、回転飛行機は屋上の外に飛び出すスリルを味わえました。
今はスカイツリーが見えます。
このビヤホールから隅田川花火大会を見たら、最高の景色でしょう。
でも浅草松屋はもっと広いイメージでしたが、こんなに小さかったとは・・・。
売場には多くの外国人向け土産物があり、デパートより巨大土産物屋の様でした。


今は吾妻橋交差点からは隅田川の向こう側が絶景になりました。

スカイツリーとアサヒビールのオブジェを撮っていたら、横で見知らぬ外国人も写真を撮り始め微笑み会い国際交流をしました。

浅草には人力車がいっぱい、人力車は古きと言うより新しさを感じます。

浅草寺の景色も変わらない?。

前に来た時、改修工事していたっけ。この景色も昔とは違うなかな。
50年前に御神籤札の番号で大吉一番の番号がわかり、札を引かずに大吉一番の御神籤を貰った事を思い出しました。

浅草を歩いて、50年前の若かりし頃を思い出しました。デパートには若い女の子が大勢働いていて、学校に行くより楽しかったです。そんな事を思い出すガネーシャJr.でした。