船尾外川神社から武西安養寺を歴史歩き | ガネーシャJr.の印西暮らし

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2015年迄印西市ではんこ屋を営んでいたガネーシャJr.と申します。角膜と硝子体の目の病気ではんこ屋を閉店しました。
里山と近郊都市の両立する印西市が大好きで、市内を散歩しながら見た事や行政に感じる事を個人的見解で書いています。どうぞ宜しくお願い致します。

こんにちは、ガネーシャJr.です。

先日の雪が日陰では凍結しています。まだ充分に注意して下さい。


今回は、雪の降る前に歩いた散歩です。


船尾町田にある外川神社に行きました。

通りに沿った神社は拝殿で、本殿は裏山の頂上にあります。ご祭神は日本武尊で、虫封じの神様です。
外川神社は本殿裏下に戸神川が流れているせいか、通り沿いの石碑は戸川神社と間違って彫られ奉納されたそうです。しかし出羽三山の羽黒山仙人堂が総社と言われています。
拝殿のある場所は印旛沼干拓地の昔は沼の中で、本殿が印旛沼の岸辺と思われます。
鳥居は壊れてから無いそうです。拝殿も火事があり今は新しくなっています。

拝殿裏の雑木林に本殿入口があります。
入口から頂上までは階段になっています。
階段は百段あると、後で知りました。
階段突き当たりは手水舎です。
右に2対の狛犬に守られた本殿があります。
虫封じのお札とワラジが掛けられていました。

本殿の小山は雑木林に囲まれて、麓の下は見えませんでした。
本殿脇に三角点が設置されていました。
数年間までこの森の中に猛禽類の巣があり、上空を輪を描いて飛ぶ姿が見られました。
しかし最近は猛禽類の姿は見かけず、烏が飛ぶだけの森になってしまいました。


船尾町田の外川神社から西に700m進むと、無人の武西の天台宗安養寺があります。
ここには1964年まで印西町立船穂小学校武西分校がありました。その名残か、ブランコと滑り台が境内に残されています。
安養寺は今の場所の東隣、武西共同墓地の下にあったと思いますが、武西分校が廃校になった跡地に移転しました。

安養寺の名が太平洋戦争の記録に出てました。太平洋戦争末期、1945年5月25日深夜に本土空襲の米軍機B29が武西(戸神?)で撃墜されました。11人搭乗中3人死亡、2遺体が安養寺で火葬され共同墓地に埋葬されました。その時生きて捕虜になった兵士が2015年にこの地を訪れ、話題になりました。
安養寺は無人の小さなお寺ですが、過去を思うと、また違って見られます。

安養寺の裏の高台の台地が数年間まで畑跡地に花が咲き乱れ素晴らしい景色でした。

昔のブログに書きました。しかし今はこの草原と雑木林にソーラー発電が設置され、高台の散歩道は無くなってしまいました。美しい里山が無くなるのは寂しい限りです。


歴史を知る事で、里山がもっと楽しくなりました。印西里山が大好きなガネーシャJr.でした。