今頃わたしの
愛しいお家は何してるかな?
愛しいお庭はどうしてるかな?
まるで恋人かお孫のように
その息遣いを『どうしてるかかな?』と
ふっと、思った。
神事とはいえ
週末に赤城に居ないのは寂しい。
都会の殺伐として
ザワザワとしたエネルギーに
くつろげない、落ち着かない。
ドンヨリと重たいエネルギーに
身体も気持ちも押しつぶされそうになる。
水が合わない
とはこの事をいうのだと思う。
都会に戻ると感じるのは
ここにいる人達の多くの人は
自分自身に合わないもの、望んで無いものに
無理に合わせられるようになろうとしている。
合わせられる人間になろうと命を削っている。
命を削って
息を潜めて生きているから
人生そのものがつまらなくなって
ドンヨリと澱んだ気持ちになって
否定だらけ、不満だらけになっていくんだと
とても感じる。
我慢ばかりしてる人は
他者のこともすごく見張っているもの。
見張りあってる人ばかりで重たい。
自然の中にいたい。
人のいないところで過ごしていたい。
赤城の私の家は
家自身が生きていて
お庭自身が生きていて
沢山の野鳥や動物たちや
植物がが息づいていて
命と共に
ゆっくりと時間が流れている✨
私の鼓動や呼吸とシンクロしている✨
私は私自身と
共鳴した場所に居たい✨✨