神様の働きと明確な境界線 | Love&Joyな魔法使いハニエルさん

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宮古島の出来事の続き、核心の部分を書こうと何度も思ったんだけど、なかなか進まない。

台風と雷のなかあちこちへ行ったり、もの凄く大変だったし、ゾッとするような事もあったし、導かれるまま色々なことをさせられて、色々な事が沢山あった。

神様レベルの目線では、その働きをする者は【大きなミッションの為には総てを差し出さなくてはなら無い消耗品なのかも知れ無い】【大きな犠牲を食い止めるにはそれでも仕方が無い】とさえ思っていた。

自らの身を削る消しゴムの様だと、いつの頃からか神様の働きをする者の宿命のことをそう感じていた。

何度も何度も繰り返された

【 神様の働きをする者は神が選ぶ 】

との言葉通り、

自分自身では選べ無いのだから、

あがいても逃れられ無いのだから、

【 受け入れるしかない 】
【 精一杯やるしかない 】

と思っていた。

思っていても、お役目の大切さは充分理解はしていても、まだ幼い子供を持つ身の自分にとって、遠い地で命かけたり、ギリギリのとこまで精神力削るのは相当の覚悟が必要だったし、望んでもいなかった。

人が言う様な『 お役目に選ばれるなんて凄いね!格好いいじゃん!』なんて気持ちになんか、なった事はなかった。

昔から、何度も、何度も、辛い決断の連続を生きてきて、沢山の大切なもの、私を引き止めるもの、ものを根こそぎ取り上げられて、受け入れるしかない、やるしかない、のだと、慣らされてしまっただけ。

同じ様な経験をしてい無い人達に理解してもらえ無いのは仕方が無いのだから、と、大人になるにつれ人の悪意のない言葉にも傷つかなくなった。

私にも、人として産まれたからには、自分自身で人生を決めたい、夢を見つけて人生を輝かせたい、

そんなふうに、普通の人がごく普通に望む様な、人間らしい望みや、家族に対する気持ちが過去にはあったけれど、それは許されないのだと、繰り返し知らしめられてきた。

『 宮古島で◯◯◯◯子という神の働きをする者に会え 』
と神様に言われ、実在した◯◯さんに会って、言葉を頂いて、やはり、与えられた役目を一生懸命に全うするしか選択肢はないのだ、とまざまざと思いました。


『 人は産まれてくる時に何をするか自分で決めてきている 』とスピリチュアル世界の何人かの人に言われました。

生まれる前のことはあまり覚えていませんし、その事を神様に問うても何も応えてくれないので、わたしには真実は分かりません。

少なくとも、子供の頃から、わたしは自分からそういう人生を生きたいとは思ってはいませんでした。



ただ、今回の宮古島で神様から再度ハッキリと告げられたのは

【 神様が私に望まれている事(災害封じや龍神エネルギーの開放、ご神事など)】

と、神様の使いとして様々な働きをする為に必要な生活費や交通費用などを得る為に、

【 神様が許可をしている事(様々な人のカルマ解消の為のセッションやヒーリング能力など)】

を与えられているのに、

私が普通に、視える、判る、出来る、が故に【サイキックバンパイア化して近寄ってくる人達】に対して、何故か変な同情心や責任感を感じてしまい、求めに応じてしまいがちであったこと、カルマの法則に反して無償で手助けをしてしまっていたこと、などを窘められした。


何かにつけ【 献身的にベストを尽くす事 】と【 自己犠牲に身を差し出す事 】は全く違う『明確な境界線をもて』と繰り返し告げられる。

『 サイキックバンパイアと化す人達は、自分の事ばかりしか考えていない為に思考が闇に支配されている 』

『 他人からエネルギーを吸えなくなって、自分自信を振り返られる様になる迄、人の話が聞ける様になる迄は手を貸してはいけない 』

『 そんな事の為に力を与えたのではない 』

『 お前の責任や仕事ではない 』

『 その様なもの達の身勝手な依存や期待は放っておきなさい 』と。


確かに、自分のして来た事や人生に向き合わずに安易に良い結果だけを欲しがる人達、自分の人生に責任を持って変化や成長をしようという覚悟が出来ていない人達、そういう人達ほど、相手の立場や都合、場所、も考えずに、真夜中や夜明けに突然電話をかけて来て『辛い』『困った』と言っては愚痴や悪口を言い、相談に乗ってもらおう、都合の良い言葉を言って貰おう、自分の要求を満たして貰おう、としてくる。

中には図々しくも犯罪行為に抵触する事をしておいて『 捕まるのは困るので(結果だけ)何とかしてください 』と言って来る人までいた。(光に反することに加担するなんてキッパリとお断りです)

指導をしても活かさず、反省せず、何度も何度も同じ事を繰り返し、他人のせいにして、言い訳ばかり。

自らは変わろうとはしない癖に、自分の蒔いた結果を引き受けたく無いと言う。

そういう人達にエネルギーを注ぎ、時間を割いて一生懸命に向き合っても、八つ当たり、責任転嫁、言い訳、愚痴、不満、ばかりで他人を都合良く利用しようとする。

時間泥棒をしていると気がつかず、不満や感情のゴミ箱にする。

相談(愚痴)を聞いてもらうのは当然とばかりの態度で、不毛で無駄な時間が過ぎていくばかり。

見ず知らずの他人相手に、一方的に個人的な長文の人生への不満だらけの相談メールや『私に何か見えますか?』と勝手に試す様なメールを送りつけてくる。

心の闇が歪みになり、自分の事しか考えられ無い人になっていく。

空気も読めず、周りの状況も判断出来ない。

そういう人達に対しても、同情心と『視える』ことから来る、断る事への罪悪感?変な責任感?を感じてしまい、非常識な振る舞いをする人でさえも受け入れてしまっていましたが、それも私が勝手に責任を感じていたこと。

やたらと強すぎる同情心と、へんな義務感に縛られていたので、他者からの安易な求めに対して反射的、盲目的に応えてしまっていたけれど、宮古島で色々と体験し、また、神様と沢山お話しを出来たことで誤りに気が付き、視野が広がりました。

最近は段々と呪縛が外れて来たので、理不尽なエネルギーコントロールやサイキックバンパイアに対して誤った罪悪感無しにNOと判断出来るようになって来た。



自分の役目とそれ以外が明確になって来て、長い、長い、エネルギーコントロールから目が覚めたという感じ。


自分自身に関わることは、選択において総て自己責任、なのだと、現場を作り上げているのも、それを維持しているのも自分自身、だ自分自身の襟を正さなくてはならない、のだと理解出来ない人達には何を告げても無駄なのだから、時期の来ていない人達には私は関わらない。構わない。

それは私の受け持ちでは無い、とハッキリ思える様になった。



自分が【自ら決断して行動する】以外は本当の意味では変わらない。


起因、原因は他者ではあるけれど、自分自身の行動、反応については相手のせいでは無く、それに反応して流される自分自身の弱さの問題。

自己を見つめ流され無い、反応しない自身を構築する、それだけの事。

自分が変えられるのは他人では無く、自分自身だけ。



これから益々その法則は強まっていく。

今世で気が付けなかった、間に合わなかった人達は来世以降で頑張ってもらうしか無い。


私は神様の働きをする者であり、都合の良いドラえもんではないのだから、と。



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