トリマーさんから耳が炎症していると指摘されて今朝は朝一で動物病院へ。
銀ちゃんは外耳炎でした。
しかもベビー時代から発症していたでしょうとのこと。
『ペットショップで耳をグリグリやられてたんでしょう。顔を触られることが恐怖になってる。』って…。
トリマーさんにも『顔をカットしようとすると凄く嫌がってハサミに噛み付こうとするんです…この嫌がりようはちょっと異常かな…って…銀ちゃん温厚だから意外です。』と言われたんです。
喋れないワンコは痛いのが嫌で必死に自分を護ろうとしてたんだろうな……。
獣医さんは『外耳炎を黙って売ったんでしょう。』と。
そうだとしたらペットショップはひどいと思う。
内緒にしないと売れないのかもしれないけど、黙ってうれば治療を中止することになる。そうなれば、また病気が悪化して痛い思いをすることになる。
悪意的に捕らえたくないけれど、そんなこと判っていたはず。
欲や恐れはひとの判断→行動を自分本意に狂わす。
……(-_-#)ぴきっ!
人を恨めば穴ふたつ。
エネルギー的に、嫌な念や、言葉(声にしないで頭の中で吐いたものも同じ)は相手を呪うのと同じくらい《毒》のエネルギーになるので、私はなるたけ《相手の動機》への理解力を駆使して、怒りや非難の意識を持たないようにしているけれど、そのぶん『でも、あんまりだなぁ…』とつくづく悲しい気持ちになってしまう。自分自身を悲しませてしまう。
ペットショップのすべてが悪質な店ばかりじゃないだろうし、誠意と愛情をもって経営している店も多いのでしょう。
(わたしはそうだと信じたい。いや、そう願いたい。)
ペットは言葉を喋れないし、自分では生きられない、すべてが人間頼りの生き物なんだ。
だから人間の側に保護者としての自覚が必要なんだ。
いろいろモニョイ気持ちになったけれども、これからの銀をたくさん幸せにできるように家族が大切にしていけばいい。
それは人間同士も同じだ。
共に住む家族がお互いに意識的に、関心を持ち合い、ささいなことは水に流し、温かい意識を向け、育み合う。
最小単位の家族への気持ちや態度が温かいものでなかったら、愛だ、理想だ、なんて言葉は嘘臭いものでしかないと私は思う。
すいません、ワンコの外耳炎から話しが飛躍してしまいました。
愛とは温かい気持ち。
愛は身近なところに。
シンプルに。
総てのひとが自ら発する愛念の太陽であれ。
