私は小さい頃から乖離した大人の意見の中で生きていた。
ピアノの発表会では淡いピンクのシルクのワンピースを着て人前に立ち、祖父からは「お前が男だったら…。」と言われる。
訳あって坊主にしたら、母から「女の子なのに…。」と言われる。
サッカーやスキーで上を目指せば「女のくせに」と言われ、バスケやバレーボールをやればガンガン突っ込んで行くから「男みたい」と言われる。
好きになった男から「お前が男だったら最高なのに。」と言われ、
心を許した女友達から「あなたが男だったら惚よかったのに。」と言われる。
だんだん、だんだん、自分が何者なのかが分からなくなり、男っぽく振る舞えば女であることを痛感させられる出来事が起き、女として振る舞えば男らしさ、むしろ男になれと求められる。
他人の意見の中で生きていたから自分を見失い、言われるがままに「演じて」きたんだろう。
そんなんだから自分の意思で誰かと付き合ったことは1度しかない。
男も女も関係なくて、いや、どうでもよくて。
言われるがまま、されるがまま、求められるがまま。
モデルや俳優の卵だったり、ミュージシャンだったり、ミュージシャン崩れだったり。
どいつもこいつも顔だけはよかった。
そして付き合った男は必ず言う。
「男らしさではお前に敵わない。」
それ以外の記憶はない。
そうねぇ、あなた方に漢気を感じたことは全くなかったわ。
おかしいなぁ、私は女であることを選んで生まれてきたのになぁ。
今まではどうしてもどちらかでなければならない、そう思ってた。
でももうそれもどうでもいいか。
私が「男らしい!」と思える人が世の中に存在していることが分かったもの。
私より男前な人は本当にかっこいい人だって分かったもの。
かっこいい私の中にいるかわいい私を見られるその人は特別。
この世の中でものすごーい特別な人。
「かっこいい」のも「かわいい」のもどちらも本物の私だし。