2019.07.10.ジャニー喜多川さん逝く | 日々の幸せな出来事

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ぺ・ヨンジュンからの始まった韓流活動です。k-popいろいろ見たけど2PMに落ち着きました♫俳優チ・チャンウク大好きです。韓国ドラマ、映画も大好きです。食べるのも大好きです(*^_^*)*2PM卒業致しました(^。^)

皆さま おはようございます
今朝はジャニー喜多川さんの訃報に驚きました。


「最愛の子供達の愛に包まれながら」ジャニー喜多川さんが死去、事務所が発表 【全文】



ジャニーズ事務所は9日夜、社長のジャニー喜多川さんが解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため死去したことを発表した。87歳だった。喜多川さんは先月18日、体調不良を訴えて都内の病院に救急搬送され、治療を受けていた。

 以下、ジャニーズ事務所による発表全文。

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー専多川は、永眠いたしました。享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。

ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。

2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時問となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空問でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。

ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し日の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。

ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。

1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。

ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。






私は姉の影響でフォーリーブスのファンでした。

次に郷ひろみさんのファンになりました。その後彼はマネー問題でバーニングプロに移籍しました。

郷ひろみが独立したのは1975年3月。ジャニーズ事務所がジャニー喜多川氏の個人事務所から正式に法人化したのがその年の1月であり、当時は所属タレントも少なく、芸能事務所として今ほどの力をもっていなかった。←芸能界から干されなかった理由

*喜多川擴(きたがわ・ひろむ、本名ジョン・ヒロム・キタガワ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂によるくも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。87歳。米カリフォルニア州ロサンゼルス出身。6月18日から入院していた。通夜・告別式は同事務所のタレントとジュニアのみの家族葬で執り行う。「ジャニーさん」の愛称で親しまれたカリスマの他界に、総勢400人ともいわれる所属タレントたちは悲しみに暮れている。  


 ジャニーさんは6月18日午前11時30分頃、都内にあるタワーマンション最上階の自宅で体調の異変を訴え、救急車で病院に搬送された。救急隊員の呼び掛けには反応がなく、意識不明の状態が続いていた。

ジャニー喜多川さんのご冥福をお祈りいたします。

これからは天国でみんなの活躍を見守って下さい。