我が子ソラは左耳小耳症で生まれてきて、左顎が右と比較して短く、左側に顔面神経麻痺があります。左耳の穴はあるが、正面から見ると穴の位置は右耳より低く、蕾のようなに折れ曲がっていて、お腹のなかで造られていく途中なのがわかるようでした。蕾を開けば右耳の1/2くらいの大きさで、耳たぶと若干の軟骨があるように見えます。形的には?マークを立体にしたような形です。5歳の時に蕾のような耳を開いてシリコンで軟骨に縫いつける手術をした。しかし、マスクもかからずメガネかからない形で高さも右耳より低い。

なので、メガネがをかけないよう目が悪くならないように気をつけている。


とかく親の心配って言うのは無限大で我が子を思うあまり心配ごとが絶えない。

その当時は周りと違うということを受け入れられずなんとか、普通の耳の形にと、普通に生活できるようにと、普通にスポーツができるようにと

思ってたなー


子供が手術を受けて感染による再手術となったとき、もう一度軟骨取り出して同じ手術しなければならない可能性があったとき

普通ってなんだろうって考えた

両耳あること?目が見えること?手足があること?

心臓が強いこと?臓器がちゃんとあること?


逆に考えると

頭はげてるおやじは普通?

足の長いモデルは普通?

運動神経の良いスポーツ選手は普通?

頭の良い人が普通?


すべて個性じゃない?

すべて個性だ!

性格の悪い良いが個性でもあったり。


当たり前ってなんだろうって思った。


生まれながらその個性で生きていることを受け入れ認めた瞬間だった。


俺は何様だ!?

上から目線で

いっぱい失敗するくせに

好きなサーフィンで試合で勝てないし


みんな大差ない


すべてを認めよう。


人間はどうしても比べてしまう。


比べるのを止めると幸せだ


自分のその人のベストを認める



話は変わって


足は4歳から徐々に早くなり、鉄棒の連続逆上がりをスイスイするような、身体能力は高いほうだった。

左耳が聞こえないから、ソラって名前を呼んでも左側から呼んだ時はどこだ!?って感じでいろんな方向を見ていた。

右耳聴力でカバーしているので方向が掴みづらいんだろう。

小学校3年生くらいまで何もせず順調に太っていったが、4年のとき友達に誘われサッカーチームに入った。地元で唯一のクラブチームである。

サッカーあるあるだが、クラブチームでサッカーする子は親がサッカー熱心で幼稚園生くらいからサッカーを始め、2年生くらいにはリフティング100回は当たり前のレベルのなか、体験入会から始めた。自分もサッカーをやっていたからサッカーは好きだし、太ってきたから体づくりにも良いと思って。


そのチームの方針は個人技を伸ばすのと挨拶、人格形成だった。とてもすばらしい方針だった。即入会。


ソラは身体能力は高いほうだが、サッカー技術はゼロ。まわりの子とは雲泥の差があった。

ただ、ダントツで下手くそだったが、通ううちに徐々に技術がついてきた。チームの方針で練習試合が多く休みの日は試合に行って下手でも少しは出す方針だったようで、ちょっとは出れてるのかなと思ってた。


だけど、途中からあまり出られなく同年代で3人Bチーム年下にまみれてやっていた。年下がAチームに入ってその子が試合に出る。


少しは出れるが後半の残り5分とか

同じような境遇の子がいて仲良くなったが、その子は5年になったときやめてしまった。

とても寂しそうだった。


親としてなんとか試合に出てほしい、学んでほしい。その為一緒に練習した。嫌そうでも無理矢理やらせた。キツイことも言った。

それがソラを追い込んでモチベーションを下げた理由の1つだったかもしれない。

ごめんなソラ


あの時は悔しくて

頑張って身体能力もそこそこあるのに、なんで出れないんだ。練習試合でもなんで?

それをソラにもっとアピールしろとか

言ってごめんな


やめる選択肢はなく一泡吹かせたかった。


自分自身

チームに不満を持っていて、試合に出ている親は上から目線で気を使われ、当然自分も父兄の中で孤立。孤立は上等だった!絶対負けない。試合に出て数をこなせば良くなる。というか今だに、なぜソラは使われなかったのか?練習試合でも!

不明だ。

サッカーチームでアイツが楽しそうな顔をしてたのは合宿でサッカー以外のことで遊んでいる時だけだったかも



ソラごめんな

親のエゴだった。

あの時違う選択肢もあったのにな

ごめんな



ただそういう、出れない時間、悔しい時間、モチベーションが低い時間、理不尽なコーチやチーム方針が

ソラに

相手を思いやる気持ち

主張が強いだけでなく控えめに気配りする。

悲しんでいる人に寄り添う。

ポジティブに考える


など

優しさを備えた。



これが後にとても生きる