『鳥羽・伏見の戦い』で会津藩が陣を構えたのが「伏見御堂」です。
伏見奉行所跡は現在は団地になっていますが、壁の作りやこの碑と塀がここに奉行所があったことを伝えています。
ちなみに「伏見奉行所」に控えていた新選組は敵陣への斬り込みを敢行したといいますが、激しい銃撃で近づくことが出来なかったといいます!
「城南宮」は薩軍の本営地であります!
「御香宮神社」は「伏見奉行所」に対峙する薩軍が布陣し砲撃した場所です。
鹿児島には結構砲台跡が残っています(対薩英戦争)。
『鳥羽・伏見の戦い』でも砲台を築いていたらしいです!
新撰組好きな方は洛南の伏見の「長円寺」に参拝して頂きたいです。
薩軍の圧倒的火力の前に幕府軍は撤退、負傷者を多数出しました。
その際淀の「長円寺住職」が野戦病院として使用を認めてくださり、新選組「土方歳三」らは好意を謝しました。
「長円寺」には「土方歳三」の愛刀『和泉守兼定の脇差し』があります。
激戦地ながら新政府側も閻魔堂・観音堂があるので攻撃出来なかったそうです。
淀君の淀城とは場所が違いますが『鳥羽・伏見の戦い』の後、淀藩は敗走の旧幕府軍を裏切って城内に入れなかったらしいです。
藩主は当時、老中職を務めた稲葉正邦です。
ちなみに日本刀は重たいから『鳥羽・伏見の戦い』では、日本刀や槍を主な武器にする新撰組や会津藩士と「サシで勝負」して勝てないから長州奇兵隊は全員銃武装で戦ったらしい...。













