・陸奥で反乱が起こっ たとき、【 早良親王 】は征討将軍となり「藤森神社」に詣でて戦勝を祈願した。その出陣の日が5月5 日で、これが現在の『駆馬神事』…
・吉田兼倶の「藤森社縁起」[2]、あるいは『拾遺都名所図会』巻五[6]等によると、光仁天皇の天応元年(781年)、に異国の蒙古が日本へ攻め寄せ、早良親王が大将軍となり率いた軍勢がこれを退けた[2][6]が、その際当社に祈願したことより当社に弓兵政所の異名がつき[2]、また境内にある蒙古塚は、この時の蒙古軍の大将の首を埋めたものと伝わる。
✳『駆馬神事(かけうましんじ)』乗り手は馬を駆りながらさまざまな技を披露する。現在も残る技には「藤下り」「手綱潜り」「逆立ち」「横乗り」「一字書き」「矢払い」「逆乗り」がある。
・早良親王(さわらしんのう)とは - コトバンク