はいっ!葬です(^^ゞ

本日は、リブログでいきまーーーーす♪


先日『柿月夜さん』が「ディスコクラッシック」の名盤とも言える……『Van McCoy (ヴァン・マッコイ)』の『The Hustle』を取り上げていらっしゃって...
丁度同じタイミングで、12月よりチマチマと不定期連載を始めた……「アルバム全曲紹介」でもある...


「厳選アルバム100枚」


を70'sディスコクラッシックから何か1枚!と思案していたトコだったので、本日は...

『Van McCoy & The Soul City Symphony (ヴァン・マッコイ・アンド・ザ・ソウル・シティ・シンフォニー)』の『Disco Baby』

をご紹介したいと思います(^_-)

『Van McCoy & The Soul City Symphony /Disco Baby』Avco AV-69006 698 USA 1975

まず、↑このジャケ、ファンキーながらもどことなくエロ♡も感じさせる秀逸なジャケですよね(^_-)
実はシングル『The Hustle』の日本盤
『ヴァン・マッコイとスタイリスティック・オーケストラ/ハッスル』Avco JET-2313 JP 1975

の他にフランス盤、スペイン盤、ポルトガル盤もこのアルバムジャケと同じ写真を使ってます(^^ゞ
フランス盤∶『Van McCoy & The Soul City Symphony/The Hustle』Philips 6105 902 Fra 1975

宣材の権利とかの兼ね合いもあるでしょーが、それよりもインパクトの強烈さを優先したのでは?と勝手に思ってます(^_-)

リアタイ当時、小学生のオイラでも…さすがにエロっぽさは理解できなくても(笑)…このアルバムとシングルが並ぶ形でよく行ってた町のレコード屋の1段高い所に飾ってあった記憶があるせいか、とても印象深いのは確かなんですが……曲とジャケ写が一致してないのもこれまた事実(^.^;

ただ、ウチのオカンがポップス好きやからか平日はやたらとFMのラジオ放送を家でかけてたので『The Hustle』自体は耳に覚えがありましたο

その後、中学・高校と洋楽にドップリになっていく中で改めて『Van McCoy』の作品とは再会(^_-)
このアルバムは高1だった1983年に渋谷の中古盤店の廉価コーナーに¥480で売ってたんで……”ついで“に買って(笑)、インスト中心のアルバムながら「70'sディスコってメチャメチャ格好イィじゃん!」と、メジャー・マイナー問わずUK.ニューウェイヴにドップリの中で……かつて小学生時代に誰が演ってるかもわからず耳にしてたり、中学時代の田舎のディスコで耳にした楽曲の”掘り起こし“作業をサイドワーク的に始めるキッカケとなったアルバムでもあります♪

それでは
💃珠玉のディスコクラッシック💃をお楽しみ下さい(^_-)

A-1『Disco Baby』 


A-2『Fire』 


A-3『The Hustle (Original Mix)』 


A-4『Get Dancin'』 


A-5『Doctor's Orders』 


どーですか?
全米ナンバー1ヒットの『The Hustle』だけじゃなく、A-1のアルバムタイトル曲でもある『Disco Baby』
なんかは、シッカリとファンキーな”歌モノ“にもなっててウキウキしてきませんか?
また、全体的なトーンとしてファンク的なグチャっとした音とフュージョン的なキレイな音が同居していて非常にバランス良く聴きやすい楽曲が並んでいるかと思います(^^)v

っつーコトでB面参りま〜す♪

B-1『Turn This Mother Out』 


B-2『Shakey Ground』 


B-3『Spanish Boogie』 


B-4『Pick Up The Pieces』 


B-5『Hey Girl, Come And Get It』 


コチラも先頭のB-1『Turn This Mother Out』はファンキーな歌を取り込んだ楽曲ο
B-4『Pic Up The Pieces』は、日本でもドキュメント番組やバラエティー番組のBGMとして使われてたコトもあるので、耳に馴染みがある方も多いかと(^_-)
ラストの『Hey Girl, Come And Get It』は、どことなく「閉店」をイメージしたりしませんか?(^.^;

テンポはともかく(笑)、21世紀の今の時代でも充分に輝き✨を放てるアルバムだと勝手に思ってます(^^ゞ

『Van McCoy』は、1940年アメリカはワシントンD.C.出身で、子供の頃から聖歌隊で歌いその後はドゥワップのグループに参加したりを経て1960年代から作曲家として多くのアーティストに楽曲提供をしたり、プロデューサー的な立場で新人アーティストの発掘も行ってきた……根っからの”業界人“だったよーですο
そんな『Van McCoy』がフロントに立つことはなけれども、自身の名を出した形で音楽ユニットを始めたワケやから……そりゃイィ物が出来て当然かと(^_-)

惜しむらくは、1979年に39歳の若さで鬼籍に入られていることο
機材テクノロジーが革新的に進んだ80年代の音楽界に『Van McCoy』が居たなら、また違った歴史があったのでは?と思えて仕方ありませんο

お付き合いいただきありがとうございました(_ _;)