きのうのさんま御殿で、
「年上の人が何度も同じ話したり長々と話すのがイヤー」と聞いて
ムーンとなってしまいました。

そう、そうなんですよね。。。
ちょっとモヤモヤしてるだけです。





実家は商売をしていました。

そのおかげで学校にも行けたし私も色々な人に出会えた。


ですが、小さいころはそんなことわからないしむしろイヤだったなと思い出します。

実家のあるところはまあ一応観光地で、

とあるホビーというかレジャーが盛んです。

ホビーって久々に聞いたな。



元々観光の仕事をうちではしていたのですが、

拡大といっては大げさすぎますが…

私が学校に上がる頃

その「レジャー」に関する仕事もするようになりました。





覚えているのは、幼稚園のころ。

その新事業に向けての準備が始まったので

私は両親と過ごす時間が極端にへらりました。



新事業は、実家のからちょっとだけ離れたところで行うためです。

ちょっとだけといっても、クルマで15分。


幼稚園児では歩いていくこともできません。

歩くと30、40分くらいかかるし。





今思えば、私も含めた家族を養うための新事業であるし

私が幼稚園に入って手も離れてきたから準備を始めたのでしょう。

でも、5、6歳の私は

なんか知らないけどお母さん行っちゃったな〜という感じだったと思う。

でも泣き喚いたりする子ではなかったので

さびいしなーと感じつつがまんしていた。と思う。

がまんという意識もなくガマンしていた感じかな。



うろ覚えだけど、夕方、実家の玄関で(屋内)

「お母さーーん!」と叫んでいたらしい。



というか、そうさせられていた?記憶が。

両親以外に祖母とかも一緒に住んでいたので

それらの大人に。




もう少し書けるかな。



懐古編は2部構成にします。



とにかく妄想力はあったので、

「残念なニュース、〇〇、土日休み」
って電話帳(❗️)とか新聞の広告欄に載らないかなとか
どうやったら載せられるかなとかいつも考えてました。


続く赤薔薇






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