先日SNSで見かけた記事で

妙に納得したものがありました


小学6年生の

夏休みの自由研究の結果で

横断歩道を渡りたい時に

止まってくれる車の傾向を

調べたというもの


よく止まってくれるのは

優しい顔のおじいちゃんや

大きな車、意外にもイカツイ車などで

逆に止まってくれないのは

車高の低い車と

おばあちゃん

だったという結果

おばあちゃんは優しそうに見えて

優しくないとのこと滝汗


確かに

昔家族に車椅子ユーザーがいたけれど

エレベーターに乗る時など

譲ってくれる人が多い中

それを無視して我先にと乗り込むのは

決まって高齢女性でした気づき

不思議だなと思っていたけれど

その子の調べた結果も同じだなぁと


どうして女性は高齢になると

周りが見えずに

自分の事しか考えられなくなるのか

アラフィフである私は

小さい子から見たら

もうおばあちゃんかもしれないし

そんな自己中な年寄りに

なりたくないと思いつつ

我の強い自分を知っているからこそ

なりそうな気がして怖い真顔ガーン





ちょうど今日

習い事で一緒の

80代の女性の言動にも

疑問を抱いたところでした


明日のイベントの車出しの件で

乗せてってと頼まれたので

一旦OKしたものの

やっぱり私は

食事の時にお酒を飲みたいからと

飲まない別の人にドライバーを

変わってもらう事になり

集合場所を変えてもらったのです

そうしたら

「そこまでして飲みたいかえー

と不服そうにしていて


いやいやいや

あなたはどっちにしても

乗せてもらうだけでしょうよハッ

文句言う筋合いあるか?

と思いモヤモヤしてしまいました


以前別の記事でも書いた

もう1人いる70代女性の

自己中具合も強烈なのですが

我が道を行く

という意味では

本当に私も同じ道を

歩んでいる気がして

かなり危機感を感じ始めました注意


どうしたら

この危機から脱する事が出来るのか

と考えてみたところ

やはり目の前の現実を

いかに客観視できるか

が大事なのでは

という気がするのと


昔は今に比べて

女性が自立できる環境には

恵まれていなかったから

耐えて我慢して暮らしていると

目の前の狭い世界で生き

幻想に飲まれやすく

広く全体を見渡せる視野が

ないのかもしれないな

とも思いました


目の前を生きる

ということは大切な事だけど

自立がセット

でなければ幻想まっしぐら

なのかもしれない


もしかして

物凄い紙一重なのではポーン


何かに依存したまま

責任はどこかに預けたまま

私はやりたい事やってます〜

っていう未熟な自分を

垣間見たような気もしてきました






ここ数日

自分の中でまた1つ

依存心を解消出来つつあり

真の自立に一歩近付いたかな飛び出すハート

という思いがあったのですが

改めて

自立大事真顔

って気付かされた感

おばあちゃんテンキュ笑






ありがとうございましたおねがい