職場で雑談中のこと
今で言う【授かり婚】
で20年程前に結婚した男性が
当時、結婚の挨拶に行ったら
順番が違う![]()
と相手の父親に殴られた
というハナシから
私が自分に起こる出来事でもないのに
「殴るのはイヤだなぁ…」
と口に出したところ
「私は反対ではない」
という同年代の女性の意見があり
モヤモヤしたので
家に帰ってきてから
振り返りで考えてみました
賛成側の意見として
その女性は
これからの困難を
2人で乗り越えていくために
最初の試練を父親が与え
超えて行けるか試している
というものでしたが
その理由に
更にモヤモヤしてしまいました![]()
実際にその方の夫は
娘さんがいつか結婚したい
という相手を連れて来ても
必ず最初は反対すると決めている
という事を以前話していて
(理由は上と同じ)
それにも私は疑問を感じていました
私の場合
試練を超えられるか『試す』
というその行為がとても不快で
どうして『信頼』しないんだろう![]()
と思ってしまうのです
子供を授かったが逃げた![]()
という相手ならまだしも
結婚しようとしている2人を
なぜ祝福出来ないのか![]()
不思議でならない
単純に
自分の父親が
反対したり殴ったりするタイプではない
という理由も大きいかもしれません
それに
娘の結婚相手を殴る
という行為は
逆に子供に対する親の甘えだな
とも思えてきました
本人の同意のみ
で結婚出来るのに
わざわざ挨拶に来させた上に
殴って反対しても
また2人は何度でも
自分の元にやってくるだろう
という甘え
愛情があるからこそ
大切な娘だからこその行為だから
何しても許されるだろう
という甘え
不安な自分の気持ちを
なんとか納得させて欲しい
という甘え
偉ぶっている父親像も
単なる自己満足のパフォーマンス
という風に思えてきて
逆に滑稽だなぁと
殴ると言う行為を
愛情という盾を使って
正当化しているだけだと…
思ったところで![]()
となると![]()
先日、私が息子の頬を
平手打ちしたのも
同じ事じゃないか…とハッとして![]()
私は愛のムチでしかない![]()
![]()
と思っていたけど
やっぱりそれも本当に
正当化していただけかもしんない…
重い次元が抜けきらない私の
親のエゴと甘えを
息子はただ受け入れてくれた
のかもしんない…
と思ったらオーマイガ![]()
本当に親は
子供に育てられている![]()
とつくづく思う
うちの息子は軽いけど![]()
人間として生きて行くには
もう少し重みも必要だな
と感じる今日この頃
平手打ちして以降
気持ちや態度にも変化が見られ
以前より地に足が付いて来たような
気がしています![]()
急に食欲が増してきたのも
そのせいではなかろうかと![]()
という事で
やっぱり私の中では
あの平手打ちは愛のムチだった
と改めて正当化![]()
という事は
父親の結婚反対や鉄拳という
パフォーマンスも
必要な親子には必要なのかもしれないな
と思い至った次第
どっちが
正解とか不正解ではない
だけど
私は『信頼』を選んで
生きていく
と改めて決意します![]()
![]()
今日も気付きを
ありがとうございました