先日
息子がついた嘘に
怒った私
私は嘘が嫌い![]()
これは以前にも
自分を観察した結果
自分だって自分に嘘をついている
など気付けた事もあるけれど
やっぱり嘘は嫌い
というところは
変わっていなくて
別に誰かを傷付ける
ようなモノでは無くても
なんでこんなに
私は嘘が嫌いなんだろう
と考えたとき
相手が私に対して
本当の事を言わなかった
という事実に
私が傷付くからだ
と思いました
正直に言ってくれない
=私を信用していない
と決め付けて
捉えてしまう図式を
頑なに持っていて
例えばそれが
誰かを庇ったり
私のためについてくれた
優しい嘘でさえも
あ、今の嘘だ
と気付くだけで
勝手に傷付いたりもして
今回
息子がなぜ嘘をついたのか
問いただしたところ
そう言った方が
お母さんが安心すると思ったから…
という
優しい嘘だったのでした
私のためについた
優しい嘘さえも
全部ひとまとめにして
嘘は嫌い![]()
と切り捨てるのは
あまりにも自己中で
あまりにも雑な捉え方なのでは?
急にそんな風に
思った私がいて
これまでも
他人の優しい嘘に
何度も触れてきた事を思い出し
その人の優しさを
全く受け取る器の無かった
自己中な私に
気付かされました![]()
私に心配をかけないためだったり
誰かを守るためだったり
そんな優しい嘘の
優しさの部分を
全く受け取れていなかった私
いくら嘘が嫌いでも
その優しさの部分に
もう少し寄り添ってみたら
また違う角度から
物事が見えるような気がしています
小さい頃から
自己中で優しさが足りない私に
こうして周りの人や息子が
優しさとは何か
を少しずつ
教えてくれているのでしょうね![]()
有難いことです
もっと優しさを受け取れる人に
そして優しさを分け与えられる人に
なりたいと思います
いつもありがとうございます