うるさい日本の私 | そういえば、昔は文学少女でした。

そういえば、昔は文学少女でした。

クリスマスと誕生日に一冊ずつねだった、「世界少女名作全集」。図書室の本を全部借りよう、と思ってた中学時代。なのに今では読書時間は減る一方。ブログに書けば、もっと読むかも、私。という気持ちで始めます。洋書から雑誌まで、硬軟とりまぜ読書日記。

中島 義道
うるさい日本の私

後輩のYさんに「絶対に読んでください」と勧められた中島氏の本。導入にはこれがよい、ということでまず。。。

街を歩けばどこもかしこも音の洪水だらけの日本に、物申し、挑戦し、やめさせようと頑張る孤独なオジサンの実録です。


江ノ島海岸での「食中毒には気をつけましょう」だの、恵比寿ガーデンプレース途上での「まもなく降り口です×エンドレス」だの、

バスで流れる『美しく青きドナウ』だの、挙句の果てには森閑とした京都のお寺での「観光テープ案内」・・・

そうそう、もうほんとに、苦痛としか思えない「放送」「案内」音の暴力と、著者は徹底的に戦います。ここがえらい。

「あー、うるさい・・・」と思っても、大抵の人は、じっと耐えているのでしょうからね。泣き寝入りってやつだ。

だいたい、これを書いている今も、近所でガナリ立てるケータイ電話ショップの客引きの声。日曜だというのに朝から夜までずーっとずーっと神経を逆撫でするような大音響で、無表情な女子が同じ説明を棒読みしているのであります。(あんまり下手なので見に行ったら、本当に原稿を読んでいた。何時間読んでも、いっこうに上達しないのが不思議だ)

ここは繁華街でもないのにやめてくれーっと心の中で思いつつ、せいぜい家の中で「うるさぁい××ッ!!!!」と叫ぶだけ。直接文句を言う勇気はない私なのでした。


このような姿勢に、物言わぬ日本人、語ることを避けて通る日本人の本質を言い当てていく展開はなるほど、と唸らせます。そして、悶々としているならいざ知らず、大半の人々は、すでに騒音にすっかり飼い慣らされて、何も感じなくなっている、ということもおそろしいけど事実なのでしょう。


音としてうるさい、ということに加えて、「そんなこと余計なお世話だ」という押し付けがましさへの言及も、至極もっとも。

「お忘れ物ないように」とか「足元にお気をつけください」とか、「席をお譲りください」とか、その手の「一見親切」な放送のことです。

何のことはない、実は自分たちの責任にされることを避けるための知恵なわけですよね。

だいたい、「車内への危険物の持ち込みはご遠慮ください」と言われて、たとえば電車を爆破してやろうと思っているテロ犯が思いとどまるはずがない。じゃ、誰のためのメッセージなのか。誰も聞いてないけど、電車としては事前に告知したからね!ってこと。


確かに、ヨーロッパで電車やバスに乗ったら、静かですもんね。降りる駅がわからなくて困ったら、車掌や周りの人に聞けばよいのだし。体の不自由な人が乗ってきたら、「放送」がなくても皆自然に手助けをしているし。

残念なことに、中島氏のこの本が出た数年前と比べて、日本は(少なくとも東京は)もっとうるさくなっている気がします。