昨日、2/1。夕方、少しリビングで眠ってしまいました。でも、亡き愛猫の、独特な鳴き声がして、目を覚ましました。
目を開けると、ガラステーブルの上で、ゴロニャンとごろごろと躰を動かしている亡き愛猫がいました。
暫く見ていました。
もうどこも病気のない、元気そうな姿を。
亡き愛猫の生前に、私が目指した、猫らしく生きられる、楽そうな躰を。
ガラステーブルとの距離は少しありましたので、手を伸ばしてみました。
でも、呼びかけずに、小さな声で、名前を呼んでみました。
大きな声で呼べば、消えてしまう気がして。
「のーくん」と。
その柄。色。愛猫そのものでした。
そのガラステーブルは昔、亡き愛猫が、亡くなる直前の一週間の間に、飛んだり跳ねたりしていた、その場所でした。
危なっかしいその躰を支えて、私と一緒に、遊んだ場所でした。
愛猫は亡くなって、今年の11月で10年が経ちます。
それでも、相変わらず、遊びに来てくれている。
私も、10年経っても、相変わらずの心で、「のーくん」と呼びました。
何年経っても変わらない。
何十年経っても変わらない。
柔らかい温もりも、触れた手の感触も、未だに忘れることなく、昨日のことのように、覚えている。
愛猫の匂いも全部、忘れていない。躰のどこの部位の感触も、すべて。
何十年経とうが変わらない。
死というものが、大切なもの同士を分つとも。
私の大切な想いは、私たちの想いは、ずっと心の中に、ここにある。
ずっと、見ていました。
私の視界から徐々に消えて、見えなくなってしまうまで、ずっと。