自分の存在 | shukoの揺蕩うはねちブログ

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生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

夜中の1時に娘が寝言なのか騒いだので私も起きてしまい眠れない。

自分と向き合ってたら

《自分の存在》

をテーマに色々と出てきたので書き残すことにした。

私は保育園の七夕の行事で短冊に
「みんな  しあわせでありますように」

なんて書くような子供だった。

保育園児が書くような願い事って、

サッカー選手になりたい

とか

おもちゃがもらえますように

とか
自我の欲求を満たす為の可愛らしいものが多い中、

他人の幸せを願うって…

でも、そんな自分の願い事の書かれた短冊の飾られた笹の葉を見上げながら、

『私って子供らしくないな』なんて考えてた。

どんな保育園児だ?!(笑)

そして、
『私って偉いでしょ!褒めて!褒めて!』

って気持ちがあったのは確か。

小学1年か2年の頃の作文も、

「将来は看護師になって多くの人の役に立ちたい」

みたいなこと書いて褒められた。

その時も『私って偉いでしょ!褒めて!褒めて!』って気持ちがあった。

本当は看護師になりたいわけじゃなかった。

ただ、褒められたかった。

他の人のためになることを言えば褒められることを知っていた。

なぜにそんなに褒められたかったか。

存在を認められたかったから!!!

何故にそんなに小さな頃から存在を認められたがってたのか。

分からないけど、

今、子育てをしていて腹が立った時に咄嗟に出る言葉、

「顔も見たくない!」

「触らないで!」

「勝手にして!」

「もう知らない!」

こんな言葉を1歳の娘に言ってしまう。

こんな言葉を私も小さな頃から言われてたんじゃないかと感じた。

覚えてないから分からないけど。

自分の存在を認められないと感じてしまうような言葉を聞いて育たないと、
こんなに 《褒められて認められたい!》なんて保育園児の時点で思わないんじゃないかと思った。

でも親に対しては、
だからどうとかは無い。

今の私がイッパイイッパイで、そんな言葉を投げかけてしまうのだけど本心は娘のことは愛してるのと同じで、

親もその時は、初めての子育てでイッパイイッパイだったんだろうと思う。



私の存在を認められたい

ってのは、ずーっとあって。
もがいてた。

頑張って皆の役に立ててれば存在していいよね!?って。

嫌な役勝手出たり、物をあげたり、ワザとふざけて楽しませて場の空気を常に考えてたり、、、

でも、頑張っても頑張っても
逆に孤独感が強くなるだけだった。

本当の自分を押し殺してまでやってたから。

でも、3、4年前のこと。

見知らぬ場に行って「よく来てくれたね!」って迎え入れてくれることがどれだけ嬉しかったか。

自分の存在を認めてもらうために、無理やり頑張って何かしようとしなくても、

ただいるだけでありがたい!ただ来てくれるだけでありがたい!って言ってもらえることが本当に嬉しかった。

そして、今、気付いたよ。

私は存在していいんだって。


自分に許可する。

この世に来てくれてありがとう!!!

ただいるだけでありがたいよ。

何もしなくても
ありのまま そのままのあなたがいるだけで本当にありがたいよ。


このまま全て許可しちゃおう。

嫌だなって思う自分も、いいなって思う自分もまとめて全部そのまま存在していいよ!

頑張らなくても簡単に幸せになっていいよ。

無理しなくても簡単に豊かになっていいよ。

出し惜しみしなくていいよ!

自分がいいと思ったなら やっていいよ!

やりたいことやっていいよ!

自分で自分の好きな世界を作っていいよ!