思い通りにならない子供 | shukoの揺蕩うはねちブログ

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生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

今日は何度か行っている、幼稚園でのベビー教室へ。

体操や絵本の読み聞かせをしてくれるんですが、、、

娘はじっとしていられないわけですよ。。

皆と一緒に体操しようとしても、目に入った知育道具が気になって気になって、
それをいじりたくて仕方がなく、体操どころじゃありません。

他の子達は、みんな良い子にママのお膝の上で体操しています。


無理やり体操させてもグズグズに。。

体操の時間が終わって知育道具で遊ぶ時間になったので、ホッとして知育道具で遊ばせようとしたら、、
今度はその知育道具を投げ散らかしまくるという状態に…

しょっぱなから思い通りにしない娘に対して、
も~~!良い加減にしなさい!!って怒鳴りたくなる衝動を抑えても、怒りが収まらず、

もうー!やめてよ!!

とつい大きめの声で口走ってしまったら
先生が来て、ここじゃ床が冷たいからあっちの敷物の上に行こうか

と娘に話しかけてくれました。
とりあえず、手元の知育道具を持って娘を連れて少し離れたところへ。

怒りが収まらない私は、娘を1人で遊ばせながら、ちょっと落ち着くまで待って、なぜにこんなイラっとしたのか考えました。

みんな言うこときいて良い子にしてるのに、娘だけ言うことをきかない。
周りの目が気になる。うちだけこんな状態で恥ずかしい。娘を自分の思い通りにさせようとしている自分にも腹が立つ。
イライラする。
皆と同じじゃなきゃいけない、という思い込みがあることに気付いた。
先生に言われたことをしないと怒られる、皆と同じじゃないと恥ずかしい、皆と同じようにしていないから周りから協調性がないって批難される、嫌われる。
という思い込み。
そういえば、小学生の頃って、先生がすぐ怒鳴るめちゃ怖い男の先生で、先生の思い通りじゃないことを生徒がすれば、立ち眩みするくらいグーで頭殴られるゲンコツされたり、ゴミ箱抱えさせられてゴミ箱に涙が落ちるくらい泣いて謝れば許してやるって言われて、わざわざ皆に見せしめさせるかのように教室の前の方にクラスの皆の方を向かされゴミ箱抱えて立たされる、とか、授業中も生徒が自分の思い通り発言しないとキレて怒鳴ってそのまま職員室行ったままずーっと帰ってこないとか、そういうことする先生だったからか、とにかく目立たないように先生が言う通りの良い子で皆と同じようにしていなきゃいけない。って私は思っていた時代だったな、、と思い出しました。

そのせいなのかは分からないけど、
とにかく、先生がいてその先生の指示で皆で何かする時は、皆んな同じじゃなきゃ不安なんだなぁって所まで自己分析に至りました。

思い返せば、

娘が生まれてから、4人一部屋の相部屋だった時も私以外の3人の赤ちゃんは殆ど泣かずに過ごしているのに、うちだけ夜中にギャン泣きして泣き止まないので、皆と同じように赤ちゃんを泣かせずに過ごすということが出来ないのが辛くて、
泣く泣く個人部屋にしてもらったり、

娘が生まれてから何度かベビーマッサージ教室行きましたが、
娘はじっとしてられないので先生の言う通りになんて全くマッサージ出来ませんでした。

周りは皆んな良い子にマッサージ受けているのに、うちは思い通りに出来ず私がとても辛いので、娘にはマッサージはやめました。

今でも、児童館で決まった時間になると、ダンスの時間があってスタッフの人が来て、皆でダンスをしましょう!とダンスをしたり手遊びをやったりするのですが、

娘はダンスや手遊びなんて全くさせてくれません。

皆が良い子にママやパパとダンスしたり手遊びをしている中、娘は1人で滑り台をよじ登ったり降りたりしています。

最初はせっかくだからと、無理やりやらせそうともしましたが、全くやらないので
もう最近は諦めてやりたいようにさせています。


皆と同じじゃなくていい、
1人だけ出来なくたっていい、
言われたことをしなくてもいい、
好きなこと好きなだけすればいい、
協調性なくてもいい、


そう思ってたはずなのに、
そう思えてなかった!!!

自分で自分にどれだけ鎖がんじがらめに掛けてたんだろうって、
娘の行動が私の中にある鎖を刺激してるんだ!って感じました。

そんなことを思っていたら

娘が知育道具ではなく幼稚園生用のおままごとで遊び始め、先生が来ました。

言われた通りの棚の知育道具じゃないもので遊んでいるので怒られるのかと思って身構えたら、

それで遊びたいの?いいよ、いいよ!

と言ってくれて、そこから先生にいろいろと話しました。

娘の協調性のなさを話すと、それだけ一つの物事に集中出来るのは凄いことなんだよ!と言ってくれました。


周りがどうであろうと、どう言われようと、そこに誰がいようと、
いろんな物の中から自分の目的の物を見つけ、
そこへまっしぐらと突き進み、
思う存分楽しんで、
気が済んだらまた別の目的の物の所へ行く。

これが出来ることは、とても良いこと。
これが出来ない子は、自分のことを決められない優柔不断な子になって、将来もお母さんの言う通りにしか生きられない。

と…。私のことじゃん…

子供の頃の私は、優柔不断すぎる子供だったのです。
服と靴も毎日どれを着るか履くか決められない。
欲しいお菓子やジュースも買う所でパッと決められない。
そんな子供でした。

危うく、娘もそんな子にするところだったのか?!

とにかく、

違っていい。違っても誰にも怒られない!
むしろ、怒られたっていい!

今日はとても感情を揺さぶられることから一つ学ぶことが出来ました。