26話 さいたまバスの旅

 

定年退職後の生活で、毎朝、私の前に立ちはだかる難問がある。

「さて、今日は何をするか?」

毎日出題されるのに、いっこうに正解が見つからない。しかも試験時間は一日中。答案用紙は真っ白で、採点する先生もいない。これでは受験生だって逃げ出すだろう。

 

私は前日の夜、寝る前に必ず翌日の予定を決めることにしている。神社仏閣めぐりに御朱印集め、シニア割引での映画鑑賞、日曜日朝には座禅会。あとは読書である。

こうして並べると、なかなか充実した老後に見える。しかし、予定がすべて終わってしまうと、途端に手持ち無沙汰になる。

そこで登場するのが、路線バスである。

 

私は暇ができて、何もすることが見つからないと、さいたま、大宮、川口あたりを走る路線バスに乗り込む。行き先は、まあ、行く先はどこでもいい。電車のように乗り換えを気にする必要もなく、座席に腰を下ろして窓の外を眺めていればいい。

バスが走り出すと、見慣れた町の景色が少しずつ後ろへ流れていく。住宅街を抜け、商店街を通り、交差点で信号待ちをする。普段なら歩いて通り過ぎるだけの場所も、バスの窓から眺めると、なぜか旅先の風景のように見えてくるから不思議だ。

「あそこに、こんな店があったのか」

などと発見することもある。

 

もっとも、発見したからといって、必ず立ち寄るわけではない。気が向けば降りるし、気が向かなければそのまま乗ったままだ。目的地を決めていないのだから、予定変更も何もない。そもそも予定そのものがないのである。

適当な停留所で降りると、あたりをぶらぶらと歩く。商店街があれば、店先の商品を眺める。古びた食堂があれば、入口のメニューをのぞき込む。

 

こういうとき、店選びには慎重になる。

値段はどうか。料理はうまそうか。昼飯にちょうどいいか。さらに重要なのが、ビールがあるかどうか、である。

せっかくのバス旅なのだ。昼飯にはビールの一本もつけたい。

店先でしばらく考え込んでいる姿は、ひょっとすると料理評論家が入店を決断しているように見えるかもしれない。しかし、実態は違う。年金生活者が、財布の中身と相談しているだけである。

 

ようやく店を決め、昼飯を食べる。特別な名物料理でなくてもいい。普通の定食でも、腹が減っていると十分にうまい。ビールを飲みながら、さて、このあとどうするかと考える。

といっても、急ぐ必要はない。

仕事をしていたころなら、昼飯が終われば会社へ戻り、机に向かわなければならなかった。今は違う。誰からも電話はかかってこないし、著者との打ち合わせが入っていることもない。

食事が終わったら、またただ歩く。疲れたらバスに乗る。気に入った町なら、もう少し散歩する。

これで一日がつぶれる。

 

テレビの旅番組なら、地元の人に話を聞き、名物料理を食べ、最後には感動的な感想を述べるところだろう。しかし、こちらは違う。誰とも話さず、名物料理にもありつけず、何も買わずに帰ってくることもある。

それでも、家に一日中家にいるよりは気分が変わる。

名づけて「埼玉版・路線バスの旅」である。

ただし、気になるのは料金だ。

 

私が利用しているK際K業バスは、普通に乗れば初乗り二百三十円。何度も乗り降りしていたら、年金生活者の財布はたちまち軽くなる。

ところが、この会社にはシニア向けの半年間乗り放題パスがある。料金は二万八千円。これさえあれば、対象路線はどこでも半年間は乗り放題だ。

半年で二万八千円。決して安くはないが、私はむしろ安いと思っている。毎日でも好きなところへ出かけられるのだから、時間を持て余している人間にはありがたいパスだ。

ただ、ひとつ不満がある。

以前(約1年ほど前)は二万二千円だった。それが二万五千円になり、とうとう最近二万八千円になった。

おいおい、である。

 

年金生活者が、ささやかな楽しみを見つけているのだ。世の中の値上げムードに便乗せず、どうかこのあたりで踏みとどまっていただきたい。

さて、このパスを使って、今度は東京方面へ進出してみようか、と考えている。

東京へ行ったところで、特別な用事があるわけではない。バスに乗って降りて、歩いて、腹が減ったら飯を食う。

それだけである。

 

考えてみれば、定年後の人生も、路線バスの旅も、行き先をきっちり決めないくらいがちょうどいいのかもしれない。

明日もまた、バスに揺られてどこかへ行こう。

さて、どこへ行くか。

それは、明日の朝、考えることにする(笑)。