裏目に出るのは、

まず、体育が苦手だったこと。
大人になってから、リラックスして取り組めば、めちゃくちゃ運動音痴というほど
ではない、とわかったのだけれど、
苦手意識が強すぎたので、いつでも緊張していて、ぎこちない動きしかできなかった。
はたから見ると、「単に苦手なのではなく、やる気がないのではないか」と
見えたらしく、体育の先生から目をつけられてしまった。

絶賛人見知り中で、目立たないように暮らそうと思っていたのに、
悪い方で際立って目立ってしまった。
先生はことあるごとに名指しで怒鳴り、悪い見本としてみんなにさらされたりして、
体育の時間は苦痛でしかたなかった。

体育会系のノリが全体を支配しているような校風だったので、
体育ができないことは、そのまま学校に馴染めないことに直結した。

それですっかり、男子生徒には近づけなくなった(体育は男女別なので)。
体育の出来ない、だめなやつだと全員から思われているように思って、
劣等感のかたまりみたいになってしまった。

それでも、保育園のころからの幼馴染みの一人だけは、そんな自分でも
今までと同じように接してくれたので、学校で唯一、その幼馴染だけが
心のよりどころになっていた。(彼もまた、体育が苦手というか、運動神経は悪くないけど
体力がなく、あんまりやる気がない人だった。)

もうひとつは、数学ができなかったこと。
英語と数学の2教科だけ、1年生の間は習熟度別にクラスわけされていて、
基礎、標準、応用の3段階に分かれていて、その中でさらに2段階に分けられたのだが、
どのクラスを選択するかは
本人の希望と、入学前に出される課題の点数によって決定された。
希望は英語も数学も標準にした。英語は応用でもよかったけど、
受験に特化した内容なのがいやで、標準にした。
数学は、課題の点数がさんざんだったため、基礎クラスの下の方のクラス、
つまり、最低のクラスに入れられた。

その数学の担任は、生活指導の先生でもあって、
初めての授業のとき、あろうことか、
「君達は、クズだ」と言った。
つき落とすことで、這い上がってくるように、ハッパをかけたつもりだったのだろうが、
自分にとっては完全に逆効果だった。
「そうか、クズなのか…」
とますます劣等感に油を注いでしまった。

前の記事で書いたように、数学以外の成績は、中学までは
どちらかというと、非常によかった。
思えば、それで、「1こぐらい苦手なものがあっても、他でカバーできてたら
いいじゃないか」という、思い上がりがあったんだろう。

ここでは違う。まわりの人に比べて極端に苦手なものがあることは、
「クズ」なのだ。

衝撃だった。それまで、自分はそんなに適応の悪いやつではないと思っていたのに、
まわりの面子はあんまり変わってないのに、ここではクズで最低なやつなのだ。

もともとなんとなく馴染めなかった高校生活は、
こうして、馴染めないということが、確定されてしまった。

かといって、目立たずひっそり暮らしていくこともむずかしそうだった。
悪い方にすでに目立ってしまっていたからだ。

地獄のような毎日だった。ますます無口に拍車がかかって、
学校に行っている間中、誰とも話さない日が多かった。

でも、田舎だったので、ここを離れたら他に居場所がないことも
わかっていた。

そんな中、ひとつだけ、地獄のような学校の中で、
居場所になりそうなところを見つけた。それは…