自分自身のことについて、
感受性が強すぎるのかなんなのか、
ということを、以前の記事で書いた。
それからいろいろ調べていて、
どうも、自分はこれなんじゃないか?と思うものを見つけた。
HSP(Highly Sensitive Person)
「過度に敏感すぎる人」。
アメリカの心理学者エレイン・N.アーロン博士が提唱しているらしい。
「匂いや音、一緒にいる人の気分など、周囲の微妙な変化を普通の人よりも敏感に感じ取る能力に恵まれ、創造性にも優れている」
らしいのだが、
それが裏目に出ると、
「打たれ弱さ、引っ込み思案、人見知り、となってしまい、生きづらさを感じてしまう」
ようだ。
簡易なテストがあったので、やってみた。
繊細すぎて生きづらい!HSP診断
60点以上だとHSPの可能性が高い、ということだったが、
結果は85点。
どうやら、当てはまりそう。
ちなみに人口の15~20%ぐらいそういう人がいるらしい。
5人に1人、って考えると、そんなに珍しくもないようだ。
HSPのことが書かれた個人のブログなんかをみると、
今度は、「私はHSPで、非HSSで、エンパスです」という感じで自己紹介
している人がいて、
HSSとエンパスについてもテストをしてみた。
HSS(High Sensation Seeking )
「刺激を求める人」。
「変化に富み、新奇で複雑かつ激しい感覚刺激や経験を求め」、
さらに
「こういった経験を得るために肉体的、社会的、法的、経済的なリスクを負うことを好む」
HSSについては、あてはまらないのが1個しかなかったので、
もう、そうだと思う。
気疲れしすぎて生きづらい!エンパス度診断
こっちは、75点でBランク。15点以上なら可能性が高いそうなのだが…
今の仕事につく前に、
実習先とかで、たびたび「共感力が高いので対人援助の仕事に向いている」
といわれたことがあったけど…
どうやら、自分は「HSPで、HSSで、エンパス」
かもしれない。
HSPとHSSの2つの組み合わせで、タイプがわかれるらしく、
HSPかつHSSの人というのは、
「移り気である。
HSPの敏感さとHSSの衝動性の両方をもつため、神経の高ぶりの最適レベルの範囲が狭い。
つまりすぐに圧倒されるが、同時に飽きっぽい。
新しい経験を求めるが、動揺したくないし、大きな危険は冒したくないのである。
あるHSP/HSSによると「いつもブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような気がする」そうだ。」
ぴったり、当てはまります。
ただ、そのサイクルが非常に短くて、
「圧倒されて、飽きて」みたいなのをぐるぐる繰り返しながら雪だるま式に膨らんでいくというか、最終的にブレーキ9、アクセル10ぐらいの状態で、全速でふかしながら、ものすごく引き返したくもあり、でもブレーキが完全にきいていないので、じりじりと、でも確実に一番深いとこまで突っ込んでしまう、という感じ。
対人関係でしんどくなる時のパターンが、たいてい、
1.困ってそうな人(誰かの助けが要りそうな人)をみて、声をかけてしまい、何とかならないかと思う。
(本人が直接、言葉で助けを求めているわけではないことが多い。何かいつもと違う、様子が変だ、と感じて、声をかけて確認する、という感じ。)
もしくは、自分や、周囲の人が共通のことで困っていて、その原因をさぐっていくうちに、解決の鍵を握ってそうな人が浮かび上がってきて、その人にアプローチを試みる。
2.でもすぐに、「いや、面倒だし、ヘタに首をつっこむのはやめておこう」と
一旦は、様子をみようとしたり、もっと適任と思われる人を探したりする。
3.ひととおり周りを見渡して、「でもこの場では、他にこの役を引き受けてくれそうな人がいないんじゃないか」とまたすぐに思う。
(その問題に気がついている人が、その時点では自分だけだったりするので、当然そうなる)
4.あんまり気乗りはしないまま、首を突っ込みだす。
5.困っている人と、困らせていると思われる人や事象について、双方の視点から
考察するうちに、どちらの言い分にも共感してしまい、板ばさみになる。
(この間、「もう手を引こう」→「いや、でも、乗りかかった船だし」の繰り返し)
7.根が深い問題の場合は、普通の人なら手をつけないような所まで入り込んでしまい、
「もうあとは祈るしかない」くらいの、どうしようもない所まで行ってしまう。
8. 時間の経過や環境の変化など外的な要因、当事者の気持ちの変化などで、解決する日がやってくる。
(自分が介入したことによって解決に結びついた、とは思わない。でも、何かの役に立てたなら、うれしいとは思う。)
9.その問題が忘れ去られたころになって、どっと疲れる。
という流れ。
首を突っ込んでしまうのは、無意識に刺激に吸い寄せられてしまうからかもしれない。
首を突っ込むかどうかの時点で、相当葛藤がある。リスクについても重々承知しているから。
でもその葛藤の末、
「いや、ここは静観しよう」という選択がいつもできない。
最終的には、「えーい」と特攻してしまう。
そして、共感しすぎて、
他人のことなのに、自分が感じているように双方に入れ込む。
「その人の立場に立って」というより、「その人になりきって」というレベルで。
それを、対立している双方の立場でやってしまうので、
その間、自分のことはほったらかしになってしまう。
最終的にその問題が解決したときには、解決した喜びよりも、消耗した感の方が大きい。
たぶん、その時には神経の高ぶりが収まってしまっているからだろう。
でも、
「問題がもうなくなったのに、当事者じゃない自分がしんどい顔をしているなんて、
他の人には理解してもらえないだろうし、申し訳ない」と思ってしまい、
本当は疲れきっているのに、せいいっぱい、
すっきりしたような顔で、元気いっぱいに振舞ってしまう。
それが自己欺瞞なことにも気がついているので、
だんだん「自分はいったい、何をしてるんだろう」となって、自己嫌悪が始まり、
さらに落ち込んで、
忘れたころになって、ドーンと爆発するというか、自滅する。
その時にはリアルタイムで進行している問題はもうないので、
周囲の人は、何で勝手に自滅するのかさっぱりわからない…
…思えば、そんなことの繰り返しの人生だったような…
HSPの人は、敏感ゆえにすぐに圧倒されてしまい、動揺しやすい。
そうなったときには非HSPの人に比べて、ぼろぼろになりやすいようだ。
どうも、自分の注意欠陥の理由は、このあたりにありそうな気がしている。
うっかりする時は、たいてい、その直前に、ふだんとちょっと違うことや、
何か新しい刺激があったときだ。
ルーチンワークになっているようなことを、新しい刺激が覆いかぶさって
揺るがしてしまうような感じ。立て直そうとするんだけど、
刺激の方に労力を一部割いてしまっているので、
建て直しが不十分になってしまうというか。
うーん、
しかし、「~すぎて生き辛い」が3つも重なってるなんて。
そりゃあ、一筋縄ではいかんわなぁ。
どうしたものか…
感受性が強すぎるのかなんなのか、
ということを、以前の記事で書いた。
それからいろいろ調べていて、
どうも、自分はこれなんじゃないか?と思うものを見つけた。
HSP(Highly Sensitive Person)
「過度に敏感すぎる人」。
アメリカの心理学者エレイン・N.アーロン博士が提唱しているらしい。
「匂いや音、一緒にいる人の気分など、周囲の微妙な変化を普通の人よりも敏感に感じ取る能力に恵まれ、創造性にも優れている」
らしいのだが、
それが裏目に出ると、
「打たれ弱さ、引っ込み思案、人見知り、となってしまい、生きづらさを感じてしまう」
ようだ。
簡易なテストがあったので、やってみた。
繊細すぎて生きづらい!HSP診断
60点以上だとHSPの可能性が高い、ということだったが、
結果は85点。
どうやら、当てはまりそう。
ちなみに人口の15~20%ぐらいそういう人がいるらしい。
5人に1人、って考えると、そんなに珍しくもないようだ。
HSPのことが書かれた個人のブログなんかをみると、
今度は、「私はHSPで、非HSSで、エンパスです」という感じで自己紹介
している人がいて、
HSSとエンパスについてもテストをしてみた。
HSS(High Sensation Seeking )
「刺激を求める人」。
「変化に富み、新奇で複雑かつ激しい感覚刺激や経験を求め」、
さらに
「こういった経験を得るために肉体的、社会的、法的、経済的なリスクを負うことを好む」
HSSについては、あてはまらないのが1個しかなかったので、
もう、そうだと思う。
気疲れしすぎて生きづらい!エンパス度診断
こっちは、75点でBランク。15点以上なら可能性が高いそうなのだが…
今の仕事につく前に、
実習先とかで、たびたび「共感力が高いので対人援助の仕事に向いている」
といわれたことがあったけど…
どうやら、自分は「HSPで、HSSで、エンパス」
かもしれない。
HSPとHSSの2つの組み合わせで、タイプがわかれるらしく、
HSPかつHSSの人というのは、
「移り気である。
HSPの敏感さとHSSの衝動性の両方をもつため、神経の高ぶりの最適レベルの範囲が狭い。
つまりすぐに圧倒されるが、同時に飽きっぽい。
新しい経験を求めるが、動揺したくないし、大きな危険は冒したくないのである。
あるHSP/HSSによると「いつもブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような気がする」そうだ。」
ぴったり、当てはまります。
ただ、そのサイクルが非常に短くて、
「圧倒されて、飽きて」みたいなのをぐるぐる繰り返しながら雪だるま式に膨らんでいくというか、最終的にブレーキ9、アクセル10ぐらいの状態で、全速でふかしながら、ものすごく引き返したくもあり、でもブレーキが完全にきいていないので、じりじりと、でも確実に一番深いとこまで突っ込んでしまう、という感じ。
対人関係でしんどくなる時のパターンが、たいてい、
1.困ってそうな人(誰かの助けが要りそうな人)をみて、声をかけてしまい、何とかならないかと思う。
(本人が直接、言葉で助けを求めているわけではないことが多い。何かいつもと違う、様子が変だ、と感じて、声をかけて確認する、という感じ。)
もしくは、自分や、周囲の人が共通のことで困っていて、その原因をさぐっていくうちに、解決の鍵を握ってそうな人が浮かび上がってきて、その人にアプローチを試みる。
2.でもすぐに、「いや、面倒だし、ヘタに首をつっこむのはやめておこう」と
一旦は、様子をみようとしたり、もっと適任と思われる人を探したりする。
3.ひととおり周りを見渡して、「でもこの場では、他にこの役を引き受けてくれそうな人がいないんじゃないか」とまたすぐに思う。
(その問題に気がついている人が、その時点では自分だけだったりするので、当然そうなる)
4.あんまり気乗りはしないまま、首を突っ込みだす。
5.困っている人と、困らせていると思われる人や事象について、双方の視点から
考察するうちに、どちらの言い分にも共感してしまい、板ばさみになる。
(この間、「もう手を引こう」→「いや、でも、乗りかかった船だし」の繰り返し)
7.根が深い問題の場合は、普通の人なら手をつけないような所まで入り込んでしまい、
「もうあとは祈るしかない」くらいの、どうしようもない所まで行ってしまう。
8. 時間の経過や環境の変化など外的な要因、当事者の気持ちの変化などで、解決する日がやってくる。
(自分が介入したことによって解決に結びついた、とは思わない。でも、何かの役に立てたなら、うれしいとは思う。)
9.その問題が忘れ去られたころになって、どっと疲れる。
という流れ。
首を突っ込んでしまうのは、無意識に刺激に吸い寄せられてしまうからかもしれない。
首を突っ込むかどうかの時点で、相当葛藤がある。リスクについても重々承知しているから。
でもその葛藤の末、
「いや、ここは静観しよう」という選択がいつもできない。
最終的には、「えーい」と特攻してしまう。
そして、共感しすぎて、
他人のことなのに、自分が感じているように双方に入れ込む。
「その人の立場に立って」というより、「その人になりきって」というレベルで。
それを、対立している双方の立場でやってしまうので、
その間、自分のことはほったらかしになってしまう。
最終的にその問題が解決したときには、解決した喜びよりも、消耗した感の方が大きい。
たぶん、その時には神経の高ぶりが収まってしまっているからだろう。
でも、
「問題がもうなくなったのに、当事者じゃない自分がしんどい顔をしているなんて、
他の人には理解してもらえないだろうし、申し訳ない」と思ってしまい、
本当は疲れきっているのに、せいいっぱい、
すっきりしたような顔で、元気いっぱいに振舞ってしまう。
それが自己欺瞞なことにも気がついているので、
だんだん「自分はいったい、何をしてるんだろう」となって、自己嫌悪が始まり、
さらに落ち込んで、
忘れたころになって、ドーンと爆発するというか、自滅する。
その時にはリアルタイムで進行している問題はもうないので、
周囲の人は、何で勝手に自滅するのかさっぱりわからない…
…思えば、そんなことの繰り返しの人生だったような…
HSPの人は、敏感ゆえにすぐに圧倒されてしまい、動揺しやすい。
そうなったときには非HSPの人に比べて、ぼろぼろになりやすいようだ。
どうも、自分の注意欠陥の理由は、このあたりにありそうな気がしている。
うっかりする時は、たいてい、その直前に、ふだんとちょっと違うことや、
何か新しい刺激があったときだ。
ルーチンワークになっているようなことを、新しい刺激が覆いかぶさって
揺るがしてしまうような感じ。立て直そうとするんだけど、
刺激の方に労力を一部割いてしまっているので、
建て直しが不十分になってしまうというか。
うーん、
しかし、「~すぎて生き辛い」が3つも重なってるなんて。
そりゃあ、一筋縄ではいかんわなぁ。
どうしたものか…