先月に稲垣吾郎さん主演のNo.9不滅の旋律を観劇し今まで数多くの伝記やら資料やら見てきたのにもかかわらず、何処かさらっと上っ面だけしかベートーヴェンについて見てきていなかったのだなと猛省。

それ程までに稲垣吾郎さん始めキャストの皆さんの個々の人物像を伝える能力の素晴らしさに目を覚まさせて頂いた感がありました。

なので今回は第九を歌うにあたり

私は何を感ずるのだろう?

と過去1万人の第九で歌ってきて違う感じ方をするのは安易に自身で想像がつきました。

今まではドイツ留学から帰国してドイツ語で第九を歌える機会があると知って参加したのがきっかけに過ぎなかったし、自分自身の年中行事的な意味合いでの位置付けでした。

それなりに第四楽章についての解釈はして来たけれど、第一楽章から第三楽章は好きな旋律の所が気になるくらいと言うのが正直な所で解釈と言うのは漠然と捉えてはいたけれど特段細部まで考えてはいなかったのですが土曜日のリハの時(今回は全通しではなかった)今まで感じない感覚がありました。

本番当日のゲネプロの時、目から鱗とはこのことを言うのか⁉︎と言うくらい今までの聴こえ方と違う聴こえ方が脳内を駆け巡りました。

(私見なので、ご意見は承りませんので悪しからずご了承願います)

あ、これってもしかして第一楽章から第三楽章はベートーヴェンの人生を幼少期、青年期、中壮年期で表してるのか?

入りは自分がこの世に生まれてきた所で
この辺りは父親に不条理に暴力受けて怖かった思いとか?なのか?あ、これは恋してる時のときめきで心穏やかに彼女との時間を過ごしている時の気持ちなのか?これは裏切られて心の悲しみなのか?とか、あここでまた復活したから先程と同じ旋律なのか?とかとか。


なんだか今まで数え切れないほど聴いてきた曲なのに丸でベートーヴェンが自分の人生を語るが如くに聴こえてきてしまい稲垣吾郎さんの演ずるベートーヴェンとリンクした瞬間とでも言いましょうか。

正直、この様な捉え方に変わるとは私も予測付いてなかったので本当に驚き、そしてなんだか切なくなって泣けてきてしまいました。

あんなに暴力受けなければ耳も聴こえなくなるなんてことはならなかっただろうしなんてことなんだ‼️
と、怒りがこみ上げてくれば、
いやいやあの状況だったから自分の気持ちを音に落とし込んで表せたのか?
とか様々な思いが去来して気がつけば
ゲネプロ終了。

ゲネプロ終了時がまさかの不滅の旋律の観劇後の状態と同じになっていて頭が色んなことを駆け巡り過ぎて逆にぼんやりとしてしまう変な感覚になってました。

休憩挟み本番開始。
第1部はバーンスタイン特集さながらで
第2部の第九へ。

ゲネプロで感じた事を再度確かめる様な気持ちになりつつ歌いゲネプロの時よりも第一楽章から第三楽章の音が言葉の様に感じ不滅の旋律の舞台のシーンとリンクし始めて歌いつつ脳内には舞台の映像がリプレイされておりました。

改めてベートーヴェンという方の表現力と伝える力を感じ、そしてそれを感じれる様になったきっかけを下さった不滅の旋律という舞台作品の素晴らしさをを感じずにはいられなかった。

芸術というのは人それぞれの感じ方があるので何が正しいのかと言うのはないと思うのですが(其々の感じ方を大切にしていればいいと思うので)今回の私は第九の第一楽章から第三楽章自体がベートーヴェンの人生の総括で第四楽章は若い頃感銘を受けたシラーの詩を自分の理想と憧れではなかったのかなと感じました。

きっと第四楽章に行き着くまで、シラーの詩がベートーヴェンの心の中でも捉え方が様変わりしているのではなかろうか?とも思いました。

今までは「Freude/喜び」というシラーの詩のみを解釈してしまってたのですが第一楽章からのつながりはプロセスではなくライフだったという捉え方に変わりました。

こんなに自分自身の捉え方が変わると思っても見なかったので、感じられた喜びを大切にしたいなと思います。

それとこんなにアレコレと考えさせるきっかけを下さったNo.9不滅の旋律のスタッフ、キャストの皆さんに感謝の気持ちで一杯です。

東京は奇しくも第九の本番の日に千穐楽を迎え
今度は場所を大阪、横浜、久留米での上演されますが第九を好きだ、歌っている、これから聴きたい、やってみたいと思う方々がいらっしゃったら
チケット入手出来るかの状況もありますが是非一度ご覧になってもらいたいなと思います。

来年は自分が今回感じた事をもっと表現できる様に歌い切りたいと思います♪


ではっ音譜



今年はこんな天辺で(笑)

同じクラスの皆さんとホール前で

見たままのNo.9不滅の旋律のキービジュアル

演劇No.9不滅の旋律

演劇1万人の第九