タイトルのまんまなのですが

先日、途中から窓辺太郎の事件簿を見つつ(仕事しながら)
そんなわけで目はパソコン画面を見ていたので見ているというよりも、ほぼ音声だけでドラマを感じていたわけですが途中からだったので誰が出ているかも主役の小林稔侍さん、麻生祐美さん等レギュラー陣以外は想像もついておらず、ただ、1人だけやたらと声のトーンが異種過ぎるので

・・・・・・・

ふと、画面を見ると・・・・この人誰だ?
と。よーーく見て、、、あれっ?金髪茶髪から黒髪にした平野綾さんではないかな。

女優や歌手でやって行きたいという噂は聞いていたのですが
あ、遂に本格的に始動したのかな――などと思いつつ。

しかし、見て行くにつれ彼女の声のトーンがどうしても普通っぽくない。
なのでドラマ自体の全体の纏まった感が無くなってドラマの完成度、確実にバランスが崩れてる…

なんて言うのかなー、演技が自然じゃないっていうか、本当に演じ過ぎているというか・・・

うーーーーん。

早い話が声優は声で全てを表現しなくてはならないけれど俳優女優はまた別です。

一生懸命なのはわかるんけれど、自分でモニター見直してどうも思わなかったのだろうか?

ちょっと過剰気味な演技が最後まで続いていて
何時もの窓際太郎の締めくくりのトーンがちょっとスッキリしていなかったなー。

言葉はきついが今迄一番しっくりこなかった。

平野さんも仕事するなら、自分の希望と実力とそれをさらにあいまってどうしたらその場所で生業となれるか?
って、考えたもいなかったのかな?

表現者は、リアクションが大きければいいものではない。

たとえば愛する人が無くなって悲しむにしても・・・(今回はその場面あり)

ほんとうにね、悲しいと涙も声も出なくなるってこと経験したことないんだろうね。

あの場面が一番・・・・でした。

悲しい場面は泣けばいい叫べばいいというのは声で表現しなくてはならない
声優さん達の世界では。

しかしね生身の場合はなかなかそうならない。
特に不遇の死にざまに遭遇した時はね。
本当に茫然としてしまうものなのだよ。

で、実は今、DeNAのアヴァロンの騎士のCMに平野綾さんが出ていて思いました。

やっぱりこっちの方がハマっていますし、堂々としている気がします。
慣れと生業でしょうね。

とりあえず、仕事をちゃんとするという事はどの世界であっても共通するのはその業界をしっかり見極めて行く所からがスタート。
自分がやりたいからと言って成り立つものではない。


自分もヴァイオリンでアンサンブルなど何人かの方たちと演奏をしていますが
誰かが秀でていても駄目だし劣っていても駄目。

物事には適材適所バランスが大事だなーって実感しました。

こうならない様に私も気をつけなくちゃなー。うん。

※別に平野綾さんについては好きでも嫌いでもどちらでもないのですがCM見て思わずふと思ったもので。批判でも何でもありませんので誤解しないでくださいねー。