3年前、ブログもやってなかったので、この日のことは

あまり人に話したことはなかったけれど、、、


私のふるさとは仙台。

親も兄弟も親戚もみな東北に住んでいます。


あの日は安否を確認するために、自分を落ち着かせながら

あらゆる手段を使って親に連絡をとっていました。


時間が経つにつれて、速報が沢山流れてきて、死体が浮かんでいると

いう仙台の若林区荒浜。 ここには親戚が住んでいます。


そして、名取市仙台空港近くにも親戚が住んでいました。
おしよせる津波に沢山の車が流されている映像がすぐに飛び込み

息が詰まる思いでTVを見ていました。


さらに、、、時間が経つにつれて、一番被害がひどいとされる

南三陸町。ここには兄の奥さん、当時3歳の娘がいたのです。


震えがとまらなくて、涙がとまらなくて、夜中になってもぐっすり

眠ることができなくて、しばらく普通の精神状態ではなかった

と思います。


仙台の実家と一番初めに連絡がとれ、名取の親戚は数日後、

荒浜の親戚はさらに数日後に安否が確認できたのですが、

南三陸町は一日中電話をかけても、何をしても安否が確認

出来ず。。。


奥さんは仕事の関係などて、一時南三陸に住んでいたのですが、

娘を港近くの保育園に預けていて、丁度地震が起こる直前に

兄は奥さんと電話で話していて、これから娘を

迎えにいくと言って、電話を切ったということでした。


どうにもこうにも安否がとれず、インターネットの安否確認の

掲示板も使ったところ。。。埼玉に住んでいる南三陸の実家の親戚から

連絡がきました。


兄の奥さんは、電話を切った後にすぐに娘をむかえに行ったので

娘も奥さんも無事。

わかめの出荷で港にいたおじいちゃんは、孫が心配で保育園

に向かい、途中津波に流されてしまいました。


もう、何が何だかわからないくらいショックで、泣きあかしましたが、

その頃には仙台とはむこうが公衆電話からかけるとつながる

ようになっていて、長い時間並んで電話をかけてくれるようになりました。


でもその後、実家は水もガスも2か月つながらず、スーパーでは何時間も

並び買い物をしたり、一番は南三陸に行くためのガソリンを

得るために一晩雪降る中ガソリンスタンドに並んだりしていたのを

聞いて、何もできないが悔しかったり、歯がゆかったり。

一晩並んでも、ガソリンを入れられないこともあったし、そこらじゅうで

ガス欠の車が続出して、動けないこともあったそうです。


こちらからは、携帯用のガソリン缶を送ったり、

南三陸の兄の実家で暖をとれるよう、練炭や食料を送ったりして、

仙台から兄と両親が南三陸の告別式にたどり着けたのでした。


実家は家が残っただけ、良かったと思う。

でも2か月間、ガソリンのない中で、水の調達やお風呂も自宅では

入れない状態が続いたのと、もちろん物資の調達は一切ないので、

毎日のようにちょっとだけ売ってくれるスーパーに行列して物資を

得たり。。。


母から、そんな緊急事態でのアドバイスがありました。

家にある食器にラップをかけて食事をしたと言っていました。

洗う水もお湯もない中、ラップをはずすだけでお皿を汚さずすむと

いうことでした。

それと、沢山あったら助かるのは、割り箸。水が貴重で、洗えない
状態なので、割り箸が一番便利だったそう。

時が過ぎると、こんなことも忘れがちなので、改めて私も割り箸や

ラップの買い置きをしておこうと思います。

備えあれば憂いなしですね。


まだまだ復興は進んでないし、最近震災の報道番組も多いので、

現状を知るいい機会になっているかと思います。

収入のない高齢者の方々への援助がなってないなと感じます。

自分が逆の立場だったらほんとにきついですよね。

そしてそして、生かされてる自分。

命を大事に、日々の生活を大切にしていきたいと改めて思った

1日でした。

亡くなった方のご冥福を心からお祈りいたします。