初めてその人を見たのは写真の中。

小さなどうぶつさんの頬に

満面の笑みで手を伸ばす温顔無敵なその人。


娘から聞いたエピソードが大胆過ぎて

想像してたその人とは随分と違って見えた。

勝手に作り上げた九州男児像とは相反して

踊りと三味線を嗜む上品な印象だった。


去年の夏なのに遠すぎる。



瞼を伏せ暗闇の中で家族をおもう男。


長年連れ添った恋女房に。明るくね、

と声をかけ。

息子には。見舞いには来なくていい、

仕事をしろと。



その人に。

水割りは好きかと聞かれたとき。

はい、水割りが好きです。と三味を弾く


続けて嘘をついた。

いつにしましょう 週明けにでも是非に。


希望も込めたその嘘に

ググっと手を握り返したその人の右手

その右を負けじと強く握り返した。



枕元で娘が戯言を言う。


ねえ、聞いて!この人ケチなの!

私にお小遣いもくれないんだよ、ねぇ〜

ケチでしょう?ねぇ、ほんとに!


小遣いをもらっていた娘。

財布に入っていたお札を全部。

お母さんにわからないようにこっそりと

手渡してくるというその人。


いい歳をして小遣いなんて。あげる歳だろ。

だってくれるんだもん、

と娘が話していたのはいつだったろう。



面会が終わり長い廊下を渡りながら

どうしてケチなんて言いやがったか。


ケチじゃん、


個室にひとりその人を置いて帰るのを

振り切るように大声を出した。


ケチッ!!!


その人の娘。それは彼女。



暑い夏の日。

お母さんのお見舞い帰り。


そういえばお父さん

おまえのこと太郎って呼んでたぞ、


お陰で改名の手間が省けたな。


きっとお兄ちゃんから聞いたんだよ、

でも太郎ってね、と彼女が笑う。


お父さんが太郎は家に居るのか?

それなら土産に鰻でも買っていくか、

そう言ってたけど私が断ったよ。


どうして勝手に断った

オレは鰻が食いたかった。



その頃リハビリ施設に居た

彼女のお母さんに

というより。お母さんの世話をする

彼女に世話を焼いていた


そのお礼のために親父さんが

態々会いに来ようとしてくれてた事。

過ぎた日。兄貴から聞かされた彼女。


少し前まで元気だった親父さん。

それまで息を詰まらせていた彼女の中で

何かが一気に崩壊した瞬間だった。



暴雨のあの日。彼女を病院まで送り

病室の時計を気にしながら


そろそろ仕事に行く。

うん。大丈夫だよ、


いつになく頼もしく感じた彼女の声。


親父さん太郎です、また来ます。

と声をかけ病室を出た。



その20分後。


窓に当たる雨音にかき消されそうな着信音

電話に出る前に時計を見た。13:04


彼女の家族の事情を知っているだけに

親父さんらしい時間だと思った。



お父さんが そのあとは聞き取れなかった



そうか。


彼女ひとりが親父さんを看取った。


AirPodsの向こう側

13:08担当医が確認。



あのときに病室を出てよかった


一緒にいる時間が一番短かった

泣き虫な末娘の独り占めに成功し


娘の施した死化粧を窓に写して

親父さんはうっとりとした筈だ。



生きていた者が死んでしまったら

無になるのか。

あの世を信じてるわけじゃないが

信じない理由もない。


彼女のそばに。

その人はこれからもずっと。



そう思うことの方が自然なことだろう



焼酎は芋。

芋は田苑。


またいつか会えたとき

あの日の鰻をご馳走になろう。


田苑の水割りに

鰻は最高だと思うってはなし。



曇天のサクラの下で舞う花びらは

きっと日本舞踊を舞う親父さんだ。